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 潮騒の砦――。

 旧世界の遺産であるそこは、永劫にも思える時を経た今も確固たる姿で佇んでいた。海から吹く潮風にあおられて外装の痛みは激しいが、硬い岩盤を基礎にして建造されているためか風化による崩落からは難を逃れている。いや、頑強な石材を用いているのみならず、諸処に作用するように配された魔力石の結晶が退廃を防いでいた。見る者が見れば、その建築技術の高さに目を見張るだろうことは間違いない。

 ハウザーから伝えられていた秘密通路を抜けると、魔法灯の明かりは急激に弱まってしまった。かろうじて明かりとわかる薄ぼんやりとした光量であったが、夜目が利くアスカにはこの程度の明かりで十分な範囲が見渡せたためそのまま歩を進めている。古い石造りの回廊を、足音を殺し気配を殺し進む少女は今や影と同化していると言っても過言はないであろう。

 鬼がでるのか蛇がでるのかわからない状況だ。自分一人で対処しなければならないのであれば、極力戦闘はさけたいところであるし、目立たないようになるのはかえって都合がよかった。だが、本来一晩はもつはずの明かりが弱くなってしまうとは、間違いなくあの通路には細工が施されていたのだろう。

 ヒロが残した印とは反対の方向に足を向けた彼女は、ほぼ道なりに進んでいた。いくつかの小部屋を調べてみたものの、中は空で探す賢者がとらえられている様子は一向にない。

「昔を、思い出すわね……」

 通路の角を曲がる瞬間、扉に手をかける刹那、背中に走る緊張感と伝う冷たい汗が過去の記憶を思い起こさせる。一瞬の足運びや息づかいが命取りとなる、まさに死と隣り合わせの極限状態が脳内に異常興奮物質を分泌し、アスカの気分は知らずのうちに高揚していた。

 怖いもの知らずだった若かりし頃――といってもたった数年前のことであるが――の自分の姿が、色鮮やかに記憶に甦ってくる。久しく感じていなかった危機感は、心地よさをもって彼女を支配していた。

「あのとき私は一人だったけれど、今は違う」

 自分の耳に届くか届かないかのほんの小さな独白が、無意識下で生まれる。一人で踏む床の危うさとは違うなにかが、いつのまにか心の中で大きく成長し側にいなくとも感じられた。

 団長に出会い、多くの人々に接し、喜びも哀しみも全身で受けてきた。ヒロたちと出会えたことも大きな糧となっている。まだまだ先の長い彼女の人生ではあるが、その中でもこの数年はまさしく変革の時であった。

――誰か。

「えっ?!」

 突如、耳元で囁かれたような、いや、遠くからだろうか。誰かに呼びかけられたような不思議な声を聴いた気がした。きょろきょろとあたりを見回してみても、無論のごとく側に誰かが居るわけもない。

 だが、その声はそれっきりで、再び聞こえることはなかった。午後の城塞内には静かな空間がただただ続いているだけだった。



センチメンタルファンタジー
第二十一話「対峙」



「またあったね、天馬騎士のお嬢さん」

 不意に真後ろから声がかけられた。

 抜けるような蒼空に、純白の翼を広げた天馬。耳元を吹き抜ける風は冷たく、頬を斬るような痛さとさえ感じられた。今の自分の格好さえ気にしなければさわやかささえ感じさせるこの陽光の元、そこには全く持ってそぐわない鮮烈な朱と黒がぽつんと虚空に浮かぶ。忘れもしない声は、霊峰の中頂で相まみえた漆黒と深紅に彩られた魔将軍――ユウ・イルバガッド。

「いや、ホノカ・イル・モンド・ノースグリーヴ、こう呼んだ方がいいかな」
「好きにしてください」

 突然の出現に少なからず驚いたが、それも予測のうちであったためすぐに返答する。振り返ると空に浮遊するユウの姿があった。距離があるため、声を魔力で飛ばしているのだろう。手綱を引き、天馬を停滞させる。

「ずっと貴女を捜していました。この戦、貴女を倒さねば終わらない」

 鬼気迫る表情でつよく見据え、手にした槍の切っ先を遠く彼方の敵に向ける。対峙する彼女もまた、ところどころに返り血の朱を身に纏っていた。光をきらめかせる純白の鎧にこびりついた既に黒く変色した血痕が、これまでの戦闘の激しさを物語る。

「どうしてそう思ったのかな」

 飄々と応える魔将軍の顔には、口元を自虐的に歪めたような崩れた笑みが浮かんでいる。それは出来損ないの木人形の冷たい表情に似ていた。ユウの声がホノカに届くように、その逆もまた然りなようだ。

「あなたがこの軍を率いているのであれば、私はそれを止めるためにここにいる……。命の価値をねじ曲げ、生の尊さを歪め、古の時代の勇士達の屍を眠りの淵から呼び戻して、そうして幾千幾万もの可哀想な兵隊を従えたって誰の心も支配することはできないわ!」

 自分の意志を確かめるようにつむぎ出される言葉。地上からは剣戟の音がこの高さまで響いてくる。彼女が指揮を執っていた隊は、負傷者過多のため既に戦線から離脱していた。最大の功績を最小の犠牲で打ち立てたと判断し、指揮官である少女は撤退を命じたのであった。引き返しながら一人でも多くの仲間を救い出すように、と。

 そしてホノカは今、この広い戦場で独りの戦いを強いられていた。たった一騎の闘争の、その刃で屠る仇敵は目前に対峙する魔将軍――。

「ふふ、威勢がいいのは結構だけど、そんな台詞の時に腕が震えていては雰囲気が台無しだよ」
「!!」

 正午に始まった戦は、数刻後には既に取り返しのつかないくらいに泥沼化していた。その上、魔に生を受けた者達の本来の活動刻限は日が落ちてから、つまるところティレンサイド軍はそれまでに一時撤退を余儀なくされる。

 いや、撤退しなければ被害のほどがどれほどになるか見当もつかない――。

 その鋭い洞察にホノカはぐっと奥歯をかみしめ視線に力を込めて堪えた。正直なところ、途方もなく怖くて仕方がないのだ。一瞬でも気を緩めれば、敗走し始めてしまいそうな自分がいた。だから彼女は怒りを闘いの意志とし、手折れない心で迎え撃つしかない。

「ま、今回はただの監視役さ。魔将軍は一人じゃないからね、その上何を考えているのかわからない人たちだから、魔軍に忠実な飼い犬が側で目を光らせている必要があるんだよ」

 人事のように感慨も情熱も何もなくさらりと言ってのけた内容は、人として魔と対決しなければという決意を堅くするホノカにとって全く理解できないものであった。まるで理解の範疇を超えていた。

「あなたはそれでいいの?」

 かろうじて言葉にすることができたものの、深く考えれば考えるほどに自信の混迷が複雑に絡み合う。答えを見失ってしまいそうだったから、きわめて短いものになってしまう。

「それ以外の存在意義は与えられていないから」

 返されたのはなんとも簡潔で明快な答えだった。そこにおよそ自らの意志は感じられない。哀しみや怒り、あきらめなどがいっさい感じられない、淡々と自動的応答を行うように、魔将軍はぴくりとも表情を変えなかった。

 ユウにとって、絶対的な物は自分ではない。その言葉でホノカは悟った。

 相容れぬ存在なのだ、自分と彼女とでは――そう思うことでなんとか自分を保つ。

 そんなホノカの心中の葛藤などお構いなしに、ユウは話を続けた。足首丈の闇色の外套を翻し、手を下方に振り広げて戦場を見回す仕草をする。

「ほら、戦場の全貌がこの高さだとよく見えるだろう? 今、私の配下にあるのは眼下に広がる亡者の一団。こうしてみると夜明け前の海原の黒い波のよう……」

 ――夜明けの海原。

 天空船の窓から見た明星かがやく空のもとさざめく水面は、喩えようもないほどに美しかった。暁光を煌めき返す波の一枚一枚が幾重にも折り重ねられてできた至高の芸術作品――それを戦場と同じだと例えるとは。言い様のない怒りの感情が浮かび上がる。

「これで結構体力を使うんだ。まったく、魔法使いなんて一般的に思われてるほど頭脳担当じゃなくて、まるっきり肉体労働担当だよ」

 その遠回しな台詞に次第に苛々とし、話をうち切ろうと口を挟む。

「そんなことを私に話してどうするのですか?」
「ふふ、そうだね、逆に勝機を与えているつもりなのさ」
「勝機…?」
「そ、あながちさっき言っていた「私を倒せば戦が終わる」という考えは間違いじゃないんだ。少なくともこの地上での戦いはすべて終わる、私の魔力が絶たれればね」

 さも簡単そうに言い放たれた言葉であるが、それが至難の事柄であることはホノカも重々承知の上であった。だが、敵が手の内を見せていないようにホノカにも手の内をさらしてはいない。

「そして今ならば、軍の支配に魔力を裂いていて、いつもの力は出すことができない、と」

 ホノカは一つ一つ言葉をかみしめるよう、静かに言い放つ。自信はない、だがやるしかない。

 ユウは少しの間だけ目を閉じて、再び見開くとホノカに向かい相変わらずの不出来な微笑みを浮かべる。この広い戦場のどこかを、あるいは全てをその一瞬で把握してきたことが彼女には直感的に理解できた。

「時間はまだあるみたいだ。少しお相手願えるかい。呼び出されるまでの時間つぶし、程度だけど」
「ええ、もちろん手加減は不要ですよね」

 ブルンと天馬が鼻を鳴らす。それが戦闘開始の合図となった。



「……っっ!」

 飛び起きた青年の手に剣は握られていなかった。替わりに柔らかくて暖かい二つの手のひらが添えられていた。すぐ側には、やんわりとした緩い明かりを放つ魔法灯が一つ。

「タエ、コ……?」
「よかった、気がついたのね」

 松明とは違う冷たい光に映し出された蒼白な顔、真っ赤に腫らした目が痛々しい幼なじみの少女は、大きく息をついてそれまで張っていた肩の力を抜いた。そして添えられた両掌に、ぎゅっと力を込める。

 石床は横になると思いの外冷たく、容赦なく体温を奪っていく。せめてもの温もりをと、握りしめた手の平は体温以上の何かを伝えているようだった。

「ええっと、俺はいったい……」

 震える体をさすりながら上体を起こしとぎれる記憶の断片をたどって、青年は視線を宙にさまよわせる。と、ズキンとした鈍い痛みが脳髄にはしり背中まで響いた。顔をしかめこめかみを押さえてやり過ごす。

 たしか、骸骨の戦士と戦っていた――。

 青年は僅かずつ残る情景を組み立て必死に思い出す。殴打され、意識が飛びかけたがすんでの所で斬り返し、相手を両断したはずだ。敵は倒したのに、何故倒れていたのだろうか。

「毒に冒されてたのよ。あなた」

 青年の疑問の表情を読みとり、タエコはいたって簡潔に答えた。安堵のためか、心なし先ほどよりも顔色はよくなってきていた。

「毒に?」
「聖王樹の森で昔ベニトラノメに咬まれたことあるでしょ。あのときによく似た症状だったから……」

 記憶に甦る遠き日、二人がまだ幼かった頃の小さな冒険が大きな事件となってしまったあの日の思い出が、ふと呼び起こされた。冬眠から覚めたばかりの空腹の蛇にがぶりとやられ一週間以上意識を失い高熱にうなされた。おそらくそのときに出来た抗体が、何らかの作用をもたらし今回の毒の作用を和らげていたのだろう。

目覚めたときの父の憔悴した顔は、今でも鮮明に覚えている。

 少年時代の彼が禁を冒したのは、病気で倒れたタエコの母親に春の野いちごを届けようと考えたからだった。緑葉の祭典より前の春の森には、そういった危険性も含まれていてそれ故に立ち入りが禁じられていたのだが。

 思えば、初めて力一杯殴られたのはあのときが初めてだ。完治しようやく歩けるようになった少年を再度寝込ませたのも、そんな手加減知らずの父親の愛だった。

「そうか、そんなこともあったな」

 懐かしそうに、ふっと頬をゆるませる。父の死は少なからず彼の心に傷を負わせていたが、一年という時の中で確実に青年の成長の糧になっていた。タエコが見つめるその背中は、どんどん大きくなっていて、だからこそ一人で旅に送り出すには不安だった。どこか遠くへ行ってしまうような気がした。

「ありがとう、タエコが居てくれて助かったよ。」

 だが、この笑顔をむけられるたび、そんな不安はいとも簡単に霧散してしまう。青年のことをなによりも必要な存在なのだと、自覚せざるを得ない瞬間だった。

「どうして、そんな……無茶、するのよ……」

 タエコは泣いていた。静かに、ただただ静かに涙を流した。
 それは、青年への怒りではなく自分への憤りが流させた涙であった。自分勝手な行動が引き起こした、生命の危機に直結する大事ならば、少女ならずとも激しく自責の念に苛まれるだろう。

「タエコが危険な目に遭っていたんだ、それだけでもう何も考えられなかった。勝手に体が動いて、自分のことなんかどうでもよかった」

 ヒロは、気負いも衒いもなく真っ直ぐな目をしていた。
 痛々しそうにそっとタエコの頬に手を触れる。

「ひどく殴られたんだな、ここ赤くなってる」
「んん……」

 差し出された手を、先ほどまであれほど拒絶していた自分がばからしくなるほど素直に受け入れる。青年の掌は、自ら暖めていたことを忘れさせるほど温かく心の底にあった壁を突き崩す。

 突然現れたあか抜け溌剌としたアスカに、対抗しようにも対抗できない自分ばかりが大きくなりすぎてまわりが見えなくなっていた。意固地になっていただけで、本心は至って単純に青年の側にいたいという一言に尽きていた。

 だが言葉にしなくても、こんな時自然にお互いが理解できる。そんな仲にあることが、全てを物語ってるのだというのに、いつから忘れてしまったのだろう。

 ゆっくりとはなされる掌を名残惜しそうに視線で追いかけながら、小さく息を吐き出す。頬の火照りは、殴打されたからだけでないことは明かであった。

「もう大丈夫。よっと……っとっと、まだ少しふらつくかな」

 立ち上がり、取り落としていた剣を拾う。掌を握ったり開いたりしながら、その感覚を確かめる。タエコの表情はまだ不安に満ちていたが、安心させるようににっこりと笑みを浮かべて口を開いた。

「ホノカが外で頑張ってるんだ。俺達もこんなところでゆっくりしている場合じゃないだろ。大丈夫、タエコのおかげで大分楽になった」

 今はまだ立ち止まるときではない。それは二人とも自覚しているし、今更言うまでもないことだ。

「つらかったらちゃんと言うのよ、いつでも治癒するから」
「ああ、そうさせてもらう」

 先ほどまでのわだかまりはどこへやら、心配そうな瞳は変わらないが明らかにいつもの二人にもどっていた。普通の恋人達のように寄り添ったり手をつないだりするようなことはできないが、何よりも深くつながった心が青年にはたとえようもなく嬉しかった。



「始まったのですね」

 地下の牢獄は、外で繰り広げられている闘争の空気とはまったく隔離された、静かな世界を形成していた。そこに閉じこめられた沈黙の谷の賢者と称される少女が発した言葉も、すぐに岩盤の壁に吸い込まれて消える。

「もう誰にも止められないというのでしょうか……」

 憂いを帯びた表情。閉じられたままの双眸が見つめる先は、光ある未来か闇の深淵か。

 視力のない瞳に映る世界をつなぐ無数の「糸」。それは脆く危うく、それでも縦横無尽に張り巡らされ、歴史を紡ぎ未来を織り上げていた。

 アキラは、その広大な織物のなかひときわ輝く竜の瞳のように、まばゆいばかりの光を放っていた。想いの力とでも言おうか、絶対的な意志の強さに包まれた剣士の魂は、人とは違う物がみえるミユキにとってとてつもなく明るく圧倒的な存在感で、閉鎖的な心の壁を激しく優しく突き動かす。

 だが、アキラの輝きがあってなお、歴史の織り細工はほころび始めていた。彼女のなそうとしていることは、このほころびを一気に広げて無駄な糸を断ち切り捨て、新たに整然と織り始めるようなそんな行為なのだ。自分自身を世界を断ち切る剣と称することも苦とせず、この魔将軍ならばやり遂げるであろう。

 しかし。

 ミユキの心が曇るのは、はじめられてしまった淘汰の戦を誰が幕引くのかということに尽きる。

 アキラの筋書きのなかには、それももう織り込まれているというのだろうか。一片の躊躇なく自らの歩む道を振り返ることもしない、その後ろ姿をただ追いかけて行くだけで自分の存在価値はいったいどこにあるというのか、ときおりどうしようもない不安に駆られる。

「運命の歯車が廻り始めていたとしても、時はまだ満ちていません」

 否定、それはミユキの意志。未来など結局わからない、何もせずじっと待ち続けるだけのものであるわけがない。

 出会う以前よりも、鮮明に未来の景色が見えるようになったのは、幸か不幸かアキラの意志に自分の心が惹かれているからに他ならなかった。だからこそ、ミユキにはミユキにしかできないことで、運命に抗うしかないのだ。

「私にできることは全てをかけてやり遂げましょう。アキラ様、それが貴女の意志ならば」

 アキラの想いに応えるには、全身全霊を傾けなければならなかった。それゆえに、ミユキの心の深層をひどく揺さぶる。

 漠然と感じていた予感。それは変えようもない事実に突き進む怒濤のごとく、受け止めることも流れを変えることも不可能なのだと、ミユキの小さな抵抗心を嘲笑する。未来を感じる力を有する彼女だからこそ、誰よりもその予定調和を受け入れてはいけなかった。

「――誰か」

 呟きながら、ふと小さな笑みが浮かんだ。

 貴女に逢わなければ、こんな考えは持たなかったでしょう――、と。



 砦の内部は無駄な物がまるで見あたらない質実剛健で実戦向きの構造だった。

 ため息が漏れるほどの華美な装飾を知らずのうちに思い描いていた辺境出の二人は、拍子抜けしたようなほっとしたような気分だった。高い天井やそれを支える柱など、その大きさそのものはどれをとっても桁違いの大きさで、圧倒されるばかりなのだが。

 青年の体調は未だ本調子まで回復していなかったが、悠長なことを言っている余裕はない。とにかく、一刻も早くとらわれの賢者を救出して脱出しなければならないのだ。

「凄い……」

 もう何度目かもわからない感嘆のため息とともに、タエコは改めて呟く。太古の建築技術力の高さとともに感じられる職工の息づかいは、いまだ熱を失っていないようにさえ思えた。

 ひたすら上階を目指してきた二人はようやく正面の大広間までたどり着いていた。背の高い鋼鉄の門扉が今はきっちりと閉じられていてしっかりと閂がかけられている。さらに内側には格子戸も落とされており、外の様子を伺い知ることはできない。

 防衛戦にも何通りかの兵法があるが、完全に籠城するときでもなければこうして扉を閉めることはない。退却してきた味方を受け入れることができないからだ。

 つまるところ魔軍の先兵達に退却すべき場所はない――いや、退却するという概念そのものがないということなのだろう。遙か永い年月のなか、この砦を舞台とした戦はどれほどの命の終焉を積み重ねてきたのだろうか。

「もうすこし上まで行こう」

 円筒形の広間の壁には上へと続く階段がつけられている。急さのあまりない、ゆったりとした螺旋階段だ。見上げると風にギィギィと揺れる大きな照明器具が目に入った。おそらくひとつひとつが魔法灯であろう無数の硝子筒ときらびやかな宝飾金属で飾り付けられたそれは、灰色に包まれたこの広間であきらかに異彩を放っていた。そこだけ王宮の灯光具もかくやという美麗さだ。

 結構な高さがあるな――、そう青年がぼんやりと考えていたそのとき、背筋になにか形容しがたい悪寒が走った。予感めいた胸のざわめきに再度上方を見上げると、キンッという甲高い金属の悲鳴が聞こえた。螺旋階段の果て遙か高みの踊り場に赤い何かが翻る。

 つり下げられた鉄塊がぐらり、と傾いだ。

「タエコっ!!」
「え、なんっ、あ!!」

 中央に進みつつあったタエコの手を強引に引き、抱え込むようにしておおきく飛び退く。ほんの一、二呼吸ほどの刹那の瞬間、空を切り轟音をあげて落下する照明器具が視界に入った。

 鼓膜を揺さぶる衝撃音が、静寂を打ち破り広間に響く。

「きゃぁぁぁぁぁっっっっ!!」
「くぅっ!」

 二人が石床に投げだされるのと、突き刺さるようにしてそれが叩きつけられるのはぼ同時であった。太古の魔法灯具は衝撃に砕けてあたりに四散する。永い年月に降り積もった砂埃がもうもうと立ちこめた。

 青年はすぐに立ち上がると臨戦態勢で警戒の目を光らせる。一瞬感じたぞわりとした感覚、それはおそらく強すぎる激しい殺気。自らの存在を知らしめるため、あえて剥き出しにされた闘気だろう。

「誰だ!?」

 叫び声はむなしく広間に響きわたるだけだ。険しい顔のまま再び上へ視線を向ける。さきほどちらりと見えた何者かの姿はすでにない。

「いったいなにが……」
「誰かがコイツの鎖を斬ったんだろう」

 周囲に散らばった太古の照明器具の残骸を見ながらヒロは言った。二人をねらってと言うよりは、これくらいで倒れるようならば対峙する資格はないといった投げやりで突き放した攻撃だ。

「上に来いと言うことね……」
「わかってる。たぶんこれまでの骸骨の戦士とは違うってことも」

 見上げるまなざしは相変わらず険しく、握りしめた掌がじっとりと握汗をかく。からからに渇いていく喉を潤す水が、今ほど恋しいと思ったことはなかった。

「行きましょう」
「ああ」

 短く応える。緩やかといえど螺旋階段は長く、二人にはまるで空へと続く階段であるかのようにも感じられた。



「きたっ!?」

 断続的に続く、今日何度目かの頭に直接響く声を聴きアスカは確信を持つ。とらわれの賢者が送る信号なのだろう、これは。一方通行の想いでしかないが、ほんの小さな手がかりだとしても今はそれを逃すわけには行かない。

「賢者様、教えてください。どこに捕らえられているのですか」

 懇願するように小さく言葉にしてみる。静寂に包まれた通路には、その声に反応する物もなく虚しく石壁に消えるだけだ。

「きっともう少しなはずなんだわ、さっきよりもはっきり聞こえたし」

 人生前向きが行動指針のアスカにとって、これほどの力添えはない。見通しの明るくない現状に萎えかけていた気力が俄然回復する。みんな必死なのだ。ヒロもタエコも、ホノカも自分も。外で戦っている一人一人も、捕らえられた賢者も。

 だからこそ、自分を信じなければならなかった。自分のやるべきことをやり遂げられなければ、すべてが水の泡と帰す。

 ――その先の扉から下へ。

 突然、声が具体性を帯びた。賢者がアスカを認識したのだろうか、先ほどまでと明らかに違う言葉に混ざり伝わる想いは、今までになく助けを切望していた。

「賢者様、いま参りますから」

 ぐっと盛り上がる気持ちを抑え、警戒は怠らない。それが遺跡での鉄則と、彼女の体に染みついた危機管理能力が無意識のうちに働いていた。不用意に古代遺品である殺人兵機を動作させてしまった後だけに、過剰なほど神経質にもなる。

 目前には、これまでいくつか空けてきた小さな部屋の扉と、とくに代わり映えのしない作りつけの扉があった。この扉のことだろうかとよく目を凝らしてみても、頻繁に使われた様子であるとかそういった類のことはアスカにもわからなかった。なんらかの痕跡を消す仕組みがあるのかもしれない。

 慎重に扉を押し込むと、重い感触でゆっくりと内向きに開き、そのままさらに地下へと続く階段となっていた。全ての扉を開けてきているわけでないため、声がなければそのまま素通りしてしまっていたかもしれない。

 扉の先は漆黒の空気に満たされた闇色で、まるで冥府への下り坂のようにさえ思えた。不確かな明かりは足下を照らす程度が精一杯で、遠くまで見渡すことができない。

「なんか、あんまり足を踏み入れたくない雰囲気ねぇ」

 苦笑しながらつぶやく。とはいえ後込みしている場合ではないと、慎重ではあるが足早にアスカは階段を下っていった。

 幾千の星が空に瞬く夜空は、決して暗いものではないのだと改めて実感する。この遺跡の内部で迷えば二度と陽の光を拝むことはできないであろう。天駆ける星が夜を照らし位置を知らせるようには、この場所を照らすものはなにもないのだ。

 真の闇は時間の感覚を狂わせ不安を倍加させる。そういった狙いもあるのだろうそこは、まさしくうってつけの牢獄であった。

 所々で曲がりながら深く深く続く階段をどれくらい下っただろうか。帰りのことを考えるとめまいがしそうなほど下り続け、ようやく終着点へとたどり着いたのか、階段は突然途切れた。間違いなくここが最奥部であろう部屋に、足を踏み入れる。

「お待ち申し上げておりました」

 一瞬言葉を失った。闇の向こうから聞こえた声、それは予想だにしなかった女性の声色。

「え、あんたが賢者……?」

 明かりに照らし出された、白析の美貌。自らが思い描いていた、白髪で豊富な白髭を蓄えた老賢者の像とはかけ離れた、いや、まったくもって一致するところのない、うら若き女性がそこにいた。おそらく自分とそれほど年齢は変わらないだろう。

 白磁の陶器を思い起こさせる、白く美しい肌。閉じられた双眸に影を落とす長い睫毛。月光の元にひっそりと咲くという月下夜開花。そう、賢者と言うよりは囚われの姫といった方がよほどしっくりくる、それがアスカの第一印象だ。

 どれくらいの間、ここに捕らえられていたのだろうか。表情からそれを推し量ることはできないが、ともすると半日ももたず物狂いへと変貌してしまうような、静寂と深闇に満たされた部屋に幽閉されてなお気丈に佇み、対面する賢者の精神は常人には理解不能な構造なのか。

 監禁、その意味はいったいどこにあるというのか、部屋には扉も鍵もなく、賢者をつなぎ止める縛鎖もなかった。ことごとく自らの予測を逸脱していた。しいてあげるのであれば、明かり一つないこの部屋で身動きをとることの方が逃げるよりも困難だということなのだろう。

「おねがいします。私を、あの方の元へ」

 冷静さのなかに情熱の宿る言葉。あまりの現実感のなさに呆然と見つめることしかできずにいたアスカは、賢者の言葉にはっと我に返る。

「あの本当に、賢者様、ですか……?」

 再度問いかけた。向かい合う少女は少しだけ困ったような表情になりながら、小さく口を開いた。

「私の名はミユキ。沈黙の谷に住む者を賢者と呼ばれるのであれば、確かに私はその地に生まれ育ちました。ただ、私自身、そのように呼ばれることにあまり慣れてはおりませんので」

 魔法灯の明かりの元で病的な白さのミユキは途方もなく儚げで、幻であるかのようにいつ消えてなくなってしまってもおかしくないような不安に駆られる。

「いけない、急がなくてはなりません」

 なにか感じ取ったのだろうか。ミユキの表情がさっと翳る。

「お願いいたします、私をあの方の、アキラ様の元へ、中空庭園へ連れていってくださいませんか」
「えっと、あの、話が見えないんだけど。そもそもそのアキラ様ってのは誰?」

 状況が何一つつかめないまま、いや、それ以前にこの少女が賢者という事実さえ未だ受け止められずにいるアスカに、すぐにそれを理解しろと言ったところで無理がある。

「この世界になくてはならない方です。そして、いまアキラ様と運命を交差させる人物が、その元へ向かっている……」

 アスカの脳裏に青年の姿が浮かぶ。

「もしかして、それ、ヒロのこと?」
「名前までは存じませんが若い剣士の方です。ですが、二人の交錯はまだ早すぎます。回り始めた運命の輪は、今はまだ触れることさえもできないでしょう」

 この戦のさなか砦の内部に踏み込んでいるのは、自分たちの他にはいない。

「よかった、無事なのね」

 淡々と述べるミユキに、アスカはまた別のところで安堵の息をもらす。

「お願いします、時は一刻を争います。全てが定められた運命の通りになってしまう前に止めなくては」
「わかりました、と言いたいところだけど、ここから地上に戻るにも相当時間がかかっちゃうかなぁ」
「……ええ、承知しています」

 同年代の気安さから、準備していた正しい言葉遣いの数々は、くだけたいつもの調子になってしまっていた。不明なところは数多くあれど、得られた情報でなんとか現状を理解したアスカは、青年たちと合流するためにもミユキの望む場所へ行こうと考えていた。

 ただ、降りてきた階段の距離を考えると、少々……いやかなり気が滅入る。

「悪いけど私、屈強な大男でもなんでもない可憐な美少女だから、背負って階段上るなんてことできないわよ」

 諦めの表情で差し出す手を、ミユキはつかむことなく佇んでいた。閉じられたままの双眸の意味、目が見えないからだと気がつく前に賢者は小さく首を横に振った。

「大丈夫、その心配には及びません。貴女が望むのならば、その距離の意味はたちどころに消えうせることになるでしょう――」



 戦闘態勢に入った天馬は、空を駆ける幻獣として恐るべき機動性を発揮する。そこには飛竜の力強さとはまた違った、颯爽と走り抜ける軽やかさがあった。たとえるならばそう、それは風――。

 手綱を握りしめる左手は長時間にわたり力が入りっぱなしで、既に感覚がない。とはいえ、きって落とされた闘争の火蓋は、易々と収めることはできそうになかった。

「フォルテ!!」

 轟音をあげ迫りくる火炎の弾丸を、すれ違いざまに槍で刺し貫き、爆風を天馬の持つ魔法盾で打ち消す。空中に大輪の花火が弾けた瞬間、不可視の領域に阻まれてそれは消失した。灼熱の波動も大地を揺るがす爆音も天馬騎士の少女を傷つけることはできず、当然のように目もくれない天馬はそのまま小さく左に旋回し、次の目標に的を絞る。

 この魔導師の火球は永遠と相手を追いかける。立て続けに放たれた十二の魔炎をそうして次々に消滅させ、一瞬の隙を狙うホノカ。その間に普段ならばあるはずの力差が、徹底的に欠けていた。ユウ本人自らが語っていたように、数千の不死の兵を操り、その上長大な暗黒魔法を行使できるほどの魔力は無いようだ。

 だが、余裕の表情で淡々と攻撃を仕掛ける魔将軍を見ると、どうもまだまだ底がないようにも思えそれがよりいっそう不気味に映る。

「ふふっ、なかなかやるね」

 円を描くように空を移動しながら、ごく自然に一定の距離をとり続けるユウ。いつしか攻撃の手が止んでいた。

 ホノカはキッと強い視線をユウに向けていた。実際の所、空中を自在に飛翔する相手をとらえることは至難の業だった。弓か、魔法でもなければ。

 ――こちらに攻撃の手段がないと思っているのでしょうけど。

 かつて、ヒロとタエコの故郷から一瞬にして北王国の王都まで移動したことがある。『帰還』の魔法が封じられた魔力石の力だ。もちろんそれは、ほかの魔法にも応用され様々な形で活用され、中には攻撃用の魔法が封じられた物もあった。

 ただ、魔力石の性質上、攻撃用途の物になればなるほど石の大きさは大きくなる。ホノカが知る攻撃用魔力石は攻城戦に用いられる火炎大弓などの大型のものに限られていた。極僅かの、国家予算的規模で開発された武具や、旧世界の技術で作られた物をのぞけば。

 握りしめた長槍の手元に四つ並べられた緑の宝玉、大きさはわずか小指の先ほどであるそれに秘められた恐るべき破壊の力、今使わずしてどうするというのか。

「フォルテ、準備はいい?」

 了解した、というようにまっすぐユウに向けて空を滑り出す天馬。本来あの魔物を打ち倒すために生家より持参してきたものではあるが、期せずして敵軍の中枢人物に使うことになるとは。

 意識を集中する。獲物を狩る鷹の鋭い瞳によく似た、峻険な視線で魔将軍を正面に見据え、ホノカは今一本の槍の切っ先となっていた。大きく息を吸い込む。

「ようやく、動くのかな。はてさて、どんな奥の手を見せてくれるのか」

 ユウのかるい挑発が耳に入ったが、既に少女には反応する余裕はない。いや、集中力の高まりとともに周りのことがいっさい気にならなくなっていた。

 ――聖なる雷よ、敵を打ち砕け!

「雷撃衝!」

 激しい光の帯が槍の穂先から魔将軍に向かって放たれる。猛々しい黄金獅子アーザスの咆吼を彷彿とさせる轟音が天を貫き、発光が空を視界を真っ白に染め上げた。物質界に解放された魔界の稲妻は、空気を媒介にして待っていましたと言わんばかりに荒れ狂う。衝撃波は遙か下方の地上にも及ぶかのごとく凄絶な威力を見せつけた。

 雷槍テンペランツァ、その4つの魔力石に秘められた力は全てを粉々に打ち砕く雷光。先ほどまで翡翠色をしていた石の一つは、役目を果たすと同時に黒ずんだただの石へと変化していた。

 光が収まり轟音が消えると同時に煙がはれる。

「ど、どうして!?」

 だが、次の瞬間大きく目を見開くことになったのは、ホノカの方であった。

「やっぱりあったね、隠し玉」

 そこには、無傷で佇む魔将軍の姿があった。先ほどと何もかわらず、さめた表情で空に浮遊する。

「これが、なんだかわかるかな? もちろん天馬の彼はわかっているよね」

 ユウがさっと手を振ると、ホノカの視界一杯に光の文様が浮かび上がった。真っ青になって周囲を見渡すと青白く不気味に輝く無数の魔法文字達に取り囲まれていた。

「!」

 球形立体魔法陣――、それは天地を全方位包囲する逃げ場のない結界だ。霊峰の頂で見せた大地を素地にした平面魔法陣と、その威力は比較にはならない。元来、竜のような大型の生物を捕縛するために研究されていたものであったが、魔導師団単位で行使するような戦略魔法であり一人で発動させるような物ではない。

 強大な魔法になればなるほど、発動のための準備は手間がかかる。ユウは逃げ回るように動きながらホノカを取り囲む陣を組んでいた。攻撃の手をゆるめず、かつ配下に無数の不死人の兵士を操りながら、その上相手に気取られることなくである。人の成し得る技の範疇を遙かに凌駕していた。

「そんな……」

 力の逆流を押さえるため魔法盾の強さは計り知れない。魔力石に封じられた雷の嵐も決して侮るべき物ではなかったが、その魔法盾の前には、いや、魔法殻に阻まれてユウまで到達していなかった。

「結構楽しかったよ」

 魔将軍が両手を前に突き出して、最後の一節を唱えるべくゆっくりと口元を歪める。長大な魔術儀式により発動されるその力は、天馬のもつ魔法盾など紙切れのごとくあっさりと引き裂くのだろう。逃げ場所は、どこにも存在しない。

 冷たい汗が少女の背中に流れ、まるで時が静止したかのように何もかも考えられなくなった――。



「待ちかねたぞ」

 終焉は意外にも早く訪れた。駆け上った螺旋階段の果てには空の開けた空間――屋上があり、晴天の空に輝く太陽が薄暗闇になれていた瞳には痛いほど眩しく感じられた。期せずして立ち眩みの感覚に似た、血液がすぅと下がる感覚を味わう。

 うなりをあげて風が耳元を吹き抜けていく。地下の隠し通路からずいぶんと上まで上ってきていたようで、そこからは戦場の全体が見渡せた。屋上と言うよりも、砦の正面に張り出したテラスのようだった。

 砂漠色の結い上げられた長髪を風になびかせ、陽光を背に立つ一人の女性の姿。直前の言葉は彼女からの発言のようだ。

「誰だ?!」

 光に目を細めながら、警戒を解かず青年は声を上げた。
 とその言葉にはいっさい答えず、すらりと2本の剣を抜く。漆黒の刀身と深紅の刀身が対なす刃として目に映えた。

 いや、剣だけではない。その身に纏った戦闘服も朱で、この色彩の変化に乏しい遺跡では特に異彩を放っていた。どこかの民族衣装であろうか、それは異文化の香りを含んでいる。

 二刀を両手で扱う剣術、話に聴いたことはあっても実際に目にするのは初めてだ。子供心にあこがれて枝を振り回したことはあったが、でたらめもいいところでそれはとても剣技と呼べる代物ではない。いったいどのように攻撃が繰り出されるのか見当もつかなかった。

 左手に逆手に構えるのは、細身の長剣。闇色の刃はいっさいの光を反射せず夜に融ける。鍔には竜の飛翼をあしらった意匠が施されていた。

 右手には紅の大剣。幅広で肉厚のある重厚な刃は、灼熱に燃えさかる炎の色でそれ一本扱うにも相当の筋力を要すると思われる。もちろん、青年の持つ剣のように例外もあろうが。

「貴殿も抜くがいい」

 空気を伝ってくる闘気は、まさに凄まじいの一言につきた。圧倒的な存在感、潰されそうな威圧感、おそらく――魔将軍と呼ばれる者の重圧。

 これまでとは明らかに違う雰囲気に、青年は腰につるした剣の鞘を取り外し、ゆっくりと床においた。

「ちょ、ちょっとヒロ!」
「大丈夫だ、タエコ。こっちの剣は使わないだけだから」

 心配に声を上げる幼なじみをさっと手で制して、目前の敵に対峙する。

「賢明だな、その剣では二撃持たなかったろう」

 度重なる戦闘に剣の状態は決してよいものではなかったが、おそらく敵は自らの持つ魔剣と比べてそのようなことを口にしたのだろう。父から譲り受けた切れ味鋭い形見の剣であるが、強大な魔を帯びた刃にはかなうはずがない。

 ただの戦士であれば、それはこの上もない侮辱の言葉である。だが、相手の力量を肌で感じ取れたヒロには、親切な忠告としての意味の方が強かった。なぜならば、その背にはかの剣があるからだ。

 皮肉にも父から子へ伝えられた今代の神剣。血涙の想いで手にした剣は凶つ刃――名はデアドゥルス。闇の巫女との血の盟約により神の山の祭壇に封じられし神殺しの剣。

 霊峰での戦いの折に感じた剣との一体感はともするとその甘美な誘惑に負け、狂気にとりつかれるままにありとあらゆる物を切り刻んでしまいたくなる衝動を呼び起こす。だが今はその誘惑に流されることなく、魔性の刃を自らの支配下に置くことでしか勝機を見出すことが出来ない。

 深呼吸をする。これまでにない大きな重圧を感じながら、しかし一歩も怯むことなく眼前の敵を見据えた。

 覚悟はできた。

 青年は背中にくくりつけていた、霊峰ジルヴァニアでエミルの命の灯火と引き替えに手にした神の剣に手をかけ一気に引き抜く。陽光の中でもはっきりとわかるほど、その刀身はしっとりと濡れていて、握りしめた柄は手のひらにぴたりと張り付くような錯覚を覚えさせた。全身に衝撃が走り、ブルブルと悦び打ち震えるように筋肉が反応する。それはまるで自分の腕がそのまま延びたのではないかと思えるほど自然な感覚であった。

 霊峰の祭壇であの魔物たちを屠殺した時に感じた認識力の拡大化。呼び覚まされた闘争の記憶が、青年の戦闘意識に火をつけた。

 陽光を照り返す刃は、きらめく白銀の光を周囲に撒き散らす。やや幅広で肉厚のある神剣はちょうど敵の持つ二本の魔剣の中間と言った雰囲気だ。両手で構え気を張りつめると、対する女性剣士は鋭い視線にさらに力を込めて口を開いた。

「おまえに世界を変える力があるというのか?」
「な、何だって」

 あまりのも唐突な言葉に青年も目を丸くする。その言葉の意味をつかめず、聞き返すが返答はない。

 半身になり大剣を差し向ける。ぐっと腰を低く落としいつでも飛び出せる体勢だ。

「私が出会うべく運命がおまえだというならば、その力証明して見せるがいい」

 獰猛な野獣、いや竜の瞳を思わせる激しい視線は、並の人間であればそれだけで逃げ出したくなる。

「おまえも、魔将軍の一人だな」

 既に確信を持っていたことではあるが、改めて口にするとその異様な雰囲気が改めて感じられた。その言葉に、神聖な領域を汚されたかと言うかのように、険しい表情をさらに鋭くして静かに言い放つ。

「戦いの場に名などは不要。無粋な真似はこれ以上許さぬ。行くぞ!」

 否定も肯定もせず敵は、――魔将軍アキラ・イル・トリティエは気合の声とともに飛び出した。正確で無駄のない動きとその瞬発速度はこれまでであったどんな相手にもない驚異の身体能力だ。

 突き出された剣が実体の何倍にも膨れ上がったように感じられる。いや、実際にその刀身から吹き出す闘気が、何倍にも大きく見せ青年を圧倒した。アキラの剣は神々の力を宿す大剣、來神剣と名付けられた、異界の炎で鍛えられし魔剣だ。

「くぅっ!」

 刃と刃がぶつかり合い悲鳴を上げる。放電にも似た蒼い火花を飛び散らせながら、凄まじい衝撃をその手にその身に感じた。剣に秘められた相反する力がぶつかり合い、とてつもない反発力を発生させる。

 振り下ろされた剣を防ぐとすぐにもう一方の剣が繰り出されていた。と、そこにあるはずの刃が消えていて、訳も分からぬまま迫り来る剣圧にたたらを踏む。

「なっ!?」

 刃の存在感を失わせる魔を宿す、封神剣に秘められし力だ。青年はなんとか太刀筋を予測してかろうじて神剣で受け流す。

 なんて速い――。

 二つの刃を手に、まるで舞っているかのような流れる攻撃は、一瞬の間隙ですら見つけることができない。戦闘服の赤と大剣の紅、影になる長剣の黒があいまって、炎そのものと戦っているかのような錯覚を覚える。

 紅の大剣から繰り出される一撃一撃は、まるで岩を砕くかと言うばかりにひたすら重たく、握りしめる柄に伝わる反動の衝撃だけでもはじき飛ばされそうなほどだ。この剣でなければ、易々と叩き折られていただろう。

 そして、逆手に構えた黒の長剣が合間なく緩急をつけながら連続で繰り出され、見えない刃が生み出す風斬り音は先ほどから途絶えることがない。さながら小さな台風のようだ。

 これが、魔将軍の力なのか。

 神殺しの剣と呼ばれし一刀を手にし、その拡大する認識力の中でさえアキラの連撃を見切ることはできなかった。じりじりと後ずさりながら、防戦一方で攻撃の隙を伺えない。いや、よけいなことを考えるだけで刻まれる傷が増えていく。

 しっかりと目を見開いてその動きを必死に追いつづける。神剣に振り回されるヒロに比べ、アキラは完全に手足としてその剣を扱っていた。その能力を完全に引き出し、付け入る隙を与えない。圧倒的な力の差はそこから生まれていた。

 激しい攻撃に、次第に息があがってくる。極度の緊張感が疲労を呼び消耗を加速させていることも要因ではあるが、地下通路での戦闘の折に受けた神経毒が抜けきっていないことも関わっているだろう。

 捌ききれずに眼前に迫った細身の剣の一撃を大きくのけぞってかわす。まるで陽炎のようにおぼろげな刃は、やはりその存在が察知できず、突然目の前に現れて頬を浅く切り裂き、血が頬を伝って飛び散った。

「ヒロッ!」
「くそっ!」

 疲れと焦りが冷静な判断力を奪っていく。それでも何とか攻撃を返そうと振り抜くが、次の瞬間には右手の大剣に止められ、左手の剣で斬りつけられてしまう。何故ここまで動きが封じられているというのか考えが追いつかず、積み重ねられた苛立ちが次第に注意力を散漫にさせてゆく。

 一方、攻撃側のアキラも同じく苛立ちを隠せなかった。

 この程度の者が、私の運命だというのか――。

 彼女の場合、その原因は過度の期待感に対しての失望によるものだ。

 世界の変革を望み、手段を選ばず突き進んできた冥府魔道の果て。盲目の預言者より聞かされた自分の旅の終着点とも呼べる、いわば最終目標にもなりえるその者が、よもやこの程度の他愛のなさだとは。

「ぬるい!」

 アキラの体がすっと沈み込み、刹那ヒロの視界から消える。はっと息をのむ動作が重なり、一挙手一投足の危険な距離に踏み込まれた。

 ギィン!!

 大きく振り上げられた大剣の一撃に、神剣デアドゥルスは空を舞った――。


To be continued.



    
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