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 その存在を認識したとき、おぞましさに全身は総毛立ち冷たい汗が背中を伝った。

 光の無い落ち窪んだ眼窩は何処に視線を泳がせているのかまるで見当がつかない。底冷えし身震いを誘発させる冷徹な空気を身にまとわりつかせた生ける屍達の行軍は、整然とは明らかに言えぬ緩慢な速度で、しかしながら一歩も躊躇うことも怯むこともなくにじり寄る。

 凍り付く意志のない虚ろな殺意で、見た者は射抜かれるようであった。死してなお戦に駆り立てられる妄執は、いずこへと発露されれば未練なく成就されるのであろうか。

「どこなのっ!」

 天馬を駆り、戦場を翔る少女ホノカ。その目標は有象無象の雑魚ではない。彼女は激しい苛立ちと焦燥感に身を焦がしながら、必死にある相手を探しだそうとしていた。

 動き出したティレンサイド軍を待ち受けていたのは、かりそめの生命を与えられた骸骨の戦士たちだった。古戦場であるこの場、この戦場で兵団を生み出している暗黒魔道師にとって、これほどまでに兵力を無尽蔵に引き出せる場所はないだろう。

 白銀の輝く鎧は今や赤黒く染まっている。主に味方の返り血だ。

 数の上では圧倒的に優勢なティレンサイド軍が、これほどまでに苦戦しているのも、やはり死者の敵が相手ということが大きい。なにしろ、先ほどまで肩を並べて戦っていて敵の刃に倒れた味方ものたちが、命を落とした後には自らの敵となって襲い掛かるのだからどうしようもないほどに剣先は鈍る。

 先行しすぎていた第三師団は、敵勢力と元同朋の死人戦士に挟まれて無念の内に散った。生き残った小隊もあったが、みなほうほうの体で敗走してきたに過ぎず傷だらけで士気は皆無に等しかった。

 そのすべてを見ていたホノカの胸は、いまや張り裂けんばかりに痛んでいる。彼女自身幾度も矢を射掛けられたが、負った擦り傷の痛みよりも何よりも深い哀しみに苛まれていた。一人一人を助けていたのではきりが無く、小を棄て大を動かそうと戦場を縦横無尽に駆けつづけたが、文字通り一騎では荷が重すぎた。

 だが、今はまだ泣く時ではない。涙を流しても、始まってしまったこの戦は終わらない。だから、彼女は探しつづけていた。

「魔将軍ユウ! 命あるものすべてが平等に死と言う安息を与えられるのあれば、あなたはそれを汚し犯し冒涜している! 私はあなたを許さない、天馬騎士の名に誓って!」

 強く噛み締めた唇から、じわりと赤い雫がにじみ出ていることにも気が付かず――。



センチメンタルファンタジー
第二十話「嫌疑」



「アスカっ! 離れろ、まだそいつ生きてる!」
「えっ!?」

 猛烈な勢いで駆け出したヒロが、体当たりを仕掛けるようにアスカを横から突き飛ばした。彼女が床に倒れ込むのと同時に何かが交差する。

「ガッ!」

 シュゥという短い音とともに、先ほどまで微動だにしていなかった塊が蒸気を吐き出した。瞬時に大きく顔を仰け反らせた反動か、青年は不格好に転がり二転三転してやっと止まった。

「ヒロッ!」

 後ろに控えていたタエコには、細い針のようなものが高速で射出されたように見えた。そしてそれは少女をかばうように押し倒した青年の頭部を打ち抜くような軌道を描いていた。倒れたヒロは動かない。がくがくとふるえる脚に力は入らず、倒れ込む二人に駆け寄ることさえもできなかった。

「あたた……」

 衝撃による一瞬の意識遮断に何が起きたのか把握し切れていないアスカは、打ち付けた腰をさすりながらぶれる視界を必死にあわせて斜め後方を振り返る。手にしていた魔法灯は彼女の手を放れて転がっていたが、偶然にもその姿を浮かび上がらせるような方向に光を発していた。

 節くれ立った脚がわきわきと生えた、蟹のような、蜘蛛のような姿。半壊した取り留めのない造形は、闇の中にこの上なく不気味に揺らめいていた。それは、遙か昔この砦で繰り返された逃走の残滓――、伝承の中にのみ息づく古代の殺戮兵器だ。

 そうこうするうちに、二射目を打とうと照準を合わせているのか赤の燐光がゆらめきキリキリとなにかを刻むような音が響く。

 瞬時に状況を理解したアスカは、全身のバネを使って真横に飛んだ。先ほどまで座り込んでいた場所に、一瞬遅れて何かが着弾する。不思議なことに金属音や通路の床を破壊するような音はしないのだが、一瞬遅れてむっとした熱気があたりを満たした。

 耳障りな音を立てながら動き出した太古の騎兵は、崩れた球形の下部から何本もの角張った脚を巧みに動かしてその巨体を持ち上げようと身じろぎする。だが、その足の多くが壊れて動かないためか、ろくに体勢の変更もできずわずかに傾いて止まるのみだった。

「アスカ!」

 青年の声が聞こえた。一瞬の昏倒だったらしく、ヒロは勢いよく飛び起きた。右手に父から譲り受けた剣を引き抜き、そのままアスカの避けた方向とは別の側面へと駆けていく。先ほど紙一重でかわしきれず頬を掠めたなにかによって、鮮血が顎から滴っていたが今はそれを気にしている場合ではない。

「わかってるわよぅ!」

 ヒロに応えながら速射される『弾』を床を転がって避け、アスカは流れるような動作で短剣を引き抜いて構えた。ある程度以上の連続射撃はできないのか、大きく蒸気を上げ一旦停止する。

 相変わらずの金属質な高音が耳に付いた。それは古代の兵器の内部機構が奏でる幾星霜の時を越えた旋律か。

 はっと我に返ったタエコは、後方から『光灯』の聖句をみじかく唱えた。同時に、白銀色に発光する円盤が頭上に現れ、彼女の指し示す天井に張り付くように移動する。暗さになれていた瞳には、痛いほどにまぶしく感じられた。

 白光の元に晒されたそれは、赤土色をした機械仕掛けの怪物だ。

「うおぉぉぉぉっっ!」

 気合一線。大上段に剣を振りかぶり跳躍とともに中央の円盤の頂点へ刃を振り下ろす。甲高い金属音とともにぐらりとその巨体が傾いたが、ヒロも衝撃と反動で剣を取り落としそうになり着地時の体勢を大きく崩していた。

 ――!? 傷一つ付いていないのか!!

 明るく照らし出された無傷で佇む敵の姿を確認し、驚愕に目を見開く。

 正面のアスカの方向を向いていた照準が青年の方へくるりと回ると、射出口の隣の単眼が赤暗く輝いていた。

「脚を狙って時間を稼いで!」

 アスカの言葉と同時に、再び蒸気を上げて『弾』が至近距離からヒロへと降り注がれる。一瞬の判断で青年は横に飛ぶ。

 狙いがそれた隙にアスカは、背面に向かって投擲用の小刀を二、三投じていた。が、すべて装甲の表面ではじかれてしまった。あまり期待はしていなかったが、無論のごとくまったくの無傷だ。

 だが何か考えがあると言いたげな表情で少しだけ離れると、半眼になり精神統一にはいった。青年はしびれる手に剣を握り直すと、返事もそこそこに前方へ飛び出す。一層大きな蒸気を噴出し、太古に記録された行動理論原則に基づいて侵入者を排除するため体を揺らした。

 単眼のすぐ横から打ち出されるなにかを身をよじりきわめて僅かの差で避けつづけ、それでも引かず執拗に脚の付け根の連結部分をねらって青年は剣を繰り出した。再び、握りしめる柄に衝撃が伝わる。

 タエコの悲痛な叫びが回廊にこだました。見越していたかのように、背部から飛び出してきた動く腕の一部がその刃を受け止め、がっちりとつかんでいた。

「くっ!」

 脚に比べれば幾分細い武装腕だ。ヒロは渾身の力を込めて蹴り上げた。一瞬の隙をついて剣を引き抜こうとしたが思いの外その力は強く、奪い返すことはできなかった。赤く光る単眼を目前にし、咄嗟に柄から手を離して後方へ跳びすさる。間髪いれず打ち出された針のようなものが、鼻先をかすめて壁面にはじけた。

――ロキ・ル・シィアナ・クーシォン ウェスカルフルの闘う牙 我が刀身に依りて砕かん

 キリキリと動作音を刻む守護兵器のさらに後方からアスカの声が聞こえた。普段の甲高い声とはうってかわった、低く響く朗々とした詠唱だ。腰溜めにしたナイフを握りしめる右手に、左手を添えて刃を根本から先へとなぞっていく。と、突如右手に凄まじい質量が生まれ、刀身は白銀色に激しく輝き始めた。一瞬だが、彼女の顔に疑問の表情が浮かぶ。

「なに、この力……?」

 そう、普段よりも何倍も強く魔力が集積されていて、まるで強制的に魔力増幅を受けているかのような感覚だった。右上腕部までも力がみなぎっていて、気を抜くとそちらへ引っ張られていきそうな錯覚に陥る。いや、それどころの話ではなく、腕ごと暴発しそうな様相でさえある。

 とにかく、今は倒すことが先決だ。そう判断したアスカは古代の守護兵器に向かい一直線に駆け出した。敵の単眼は青年の姿をとらえたままで、こちらの接近を関知していないようであった。

 振り下ろされる刃が光の尾を引いて中心部に吸い込まれる。輝きは一層増し、過剰な魔粒子が空気中に火花を散らしていた。

「『重覇』!」

 魔の力を借りた衝撃は、聖堂の鐘を打ち鳴らすかのような大音響を生み出して地下通路の静寂を派手に打ち破る。中心の凄まじい反発力により、アスカの細身は軽々とはじき飛ばされていた。ナイフは粉々に砕けてしまい、欠片は彼女の太股や腕をかすめてあたりに飛び散った。

 なにか、ヒロの声が聞こえたが、先ほどの轟音で耳がおかしくなっていて、なんて言っているのか彼女にはわからない。上半身を起こすと、正面にあの赤い照準機が再びくるりと回って彼女の方向を見ていた。しかし――

「だいじょーぶ、もう動けないわよ」

 その動作を見て、アスカは安堵したように言った。 

――ギ、ギ、ギ……

 先ほどまでアスカの右手にあった光が、そのまま太古の守護兵器の体に移っていて、白銀色にきらきらと輝いていた。

 どすん、と唐突にその胴体が崩れ落ちる。多脚の付け根が破損していた。バキバキと音を立てながら、所々から薄く白い煙が上っていて、急速にその力を失っていった。

「た、倒したのか……?」

 駆け寄ってきたヒロがアスカに尋ねる。へたり込むように座ったままの少女は、まーねと小さく言って2本指を立てて応えた。

「あ、まださわっちゃダメよ。さっきの魔力が完全に消えるまでほおっておかないと」
「ああ、わかった。しかし、すごい威力だな。一発だ」

 驚いた表情の青年に、彼女は首を振って応える。

「ううん、自滅したのよ。自分の重さでね」

 アスカの使用した魔法は、もともと攻撃用のものではなかった。軽業士として旅の芸人一座で働く上で必要な、重量調整の魔法である。それを改修し、刀身からふれた相手に加重の光を移動する事ができるようにしてあった。

 しかしながら、本来ならばここまで威力のあるものではなく、足止めに使用できればと言う程度で使ったに過ぎない。だが、何らかの形で外部からの力が働いたのか、彼女の予想を遙かに上回る普通ではあり得ない破壊力を生み出していた。一撃の前の、膨大な魔力充足感は、今までに味わったことのない恍惚とした甘美な感覚だった。

「これは推測に過ぎないんだけど、この通路は魔法が暴発してしまうようになっているのかも知れないわ。今回は助かったけど、炎の魔法とかを使用していたら、巻き添えで3人とも火だるまになってたかも・・・」

 柄だけになってしまったナイフを見て、結構気に入っていたのになぁと、小さく嘆息する。

「ここはきっと魔法灯の中のような、そんな場所ね。小さな灯りの魔法が、圧縮された魔粒子の封じられている硝子の中で激しく輝くような仕組みと同じなんだろうけど、完全に密閉されているわけでもなくこんなことが可能なんて、まったく信じられないわ」

 魔法の仕組みに疎い青年にはよくわからなかったが、きっとそういうものなのだろうと相づちをうつ。

「ところで、いったいこいつはなんなんだ?」
「そうね、言うならばこの通路の守護者ってところかしら。古代文明の生み出した防衛用の殺戮兵器」

 よく目を凝らしてみるとあたりには先ほどの戦闘の痕以外にも、乾燥して黒く変色した血痕などが見て取れる。もう少し奥へ進むと折れた半円月の刃やねじ曲がった腕、焼け焦げた痕などが今も残っていた。アスカの話であったような、不用意な魔法の暴発で消し炭になった者も少なからずいるのであろう。

「まさか本当に動くなんて思ってもなかったけど、昔の技術ってのはつくづく執念深いのね……と、どうかした?」

 床と壁面の痕を眺めていたアスカは、不意に肩を強くつかまれて振り返る。表情を堅くこわばらせたタエコがそこにいた。

「……どういうことなの? あなた、何が狙い? 私たちを陥れてどうするつもりなんだか知らないけど、でも私はもう騙されないわ」

 低く、静かに彼女は言った。先ほどの灯りはまだ光を失っておらず、背にして立つ彼女の表情は半ば暗く影を落としている。あまり大きな声ではなかったが、周囲が静寂に包まれているせいもあってアスカにもはっきりと聞こえた。

「ね、狙いってなんのこと? 私があなた達二人を騙してる、ってそんなこと何の得があるっていうのよ」

 面食らったという表情で、大げさな身振りを交えながらアスカは答えた。

「とぼけるのもいい加減にして、何をたくらんでるのか知らないけれど、これ以上あなたの思い通りにさせないんだから」

 顔をあげたタエコの表情は鬼気迫るほどに切迫していて、それが演技や挑発でないことは明かであった。

「どうしたって言うんだ? タエコ、昨日からなんだかおかしいぞ」
「ヒロは黙ってて! 何もかもうまく行き過ぎなのよ、少しは怪しいって思わないの!?」

 昨夜、突然枕を投げつけられたことを思い出しながらヒロは言っていた。あのときは、あまり体調が優れず神経が高ぶってしまっているためだと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。むき出しの感情が、とめどなくあふれ出ている。

 青年の言葉に過剰な反応を見せ、タエコは金切り声で言葉を発した。その言葉は通路に反響して二重三重に聞こえてくる。

「アスカの善意を否定する気か? 今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「だって、今の敵もアスカが不用意にさわったから動き出したじゃない! 下手したら、いまの戦闘で大怪我をおってもおかしくない状況だったのよ」

 確かに、タエコの言うことはある意味間違っていない。不用心にも程があるという思いは、矛先をさらに鋭くしてアスカに突き刺さる。

「あれは、本当に私の不注意で……」
「アスカの力が無ければ、本当にその通りになっていただろ」

 その理由が自分の責任であると感じてか、弁明するアスカの姿はいつになく肩を落としている。だが、今のタエコにはその姿さえも演技としか受け取れなかった。彼女の擁護に回ったヒロの言葉に、猛烈な勢いでくってかかる。

「自分だけは助かる力があったってことでしょ?!」

 いつもならばホノカがうまくまとめてくれるのだが今ここに彼女の姿はない。感情的になったタエコを諫めることは、ヒロでは難しいことだった。

「さっきの戦闘でそこまで判断はできないだろ。たとえ罠にはめようとしていたとして、明らかに危険すぎる。倒す事の前に敵の攻撃を無力化する術がない限り、不安要素の多い分の悪い賭でしかないだろう?」
「分の悪いことをなりふり構っていられない状態なら、十分にあり得る話だわ!」

 タエコが危惧していることは他にもある。だがそれを言葉にする前に、二人の間にアスカが割って入った。

「はいはい、喧嘩はそこまで。いいよ別に、信頼されてないってのはちょっと寂しいけど、今はそんなことしてる場合じゃないでしょう」

 ぐいっと引き離し距離をとらせると、心底呆れた、と言った表情で吐き捨てる。事を荒立てるつもりはなかったが、ここまで言われて引き下がる彼女ではない。さらなる不信を買おうとも、一度話に区切りをつけて先を急がなければならないというのに、二人の視線の間は今や一触即発の状態であった。

「ヒロ、理由がほしいならいくらでもあげるわ。この砦に隠された太古の遺産、そのお宝見つけて大金持ちになるためなの。そのうえ運命を操る沈黙の谷の賢者の力が手に入るんでしょう、そんなオイシイ話はないわ」
「アスカ」

 タエコの言葉に対して自嘲気味に返すアスカに、青年はたしなめるように名を呼んだ。だが眉間に皺を寄せた少女はさらに続ける。相当むっとしているようだ。

「あわよくばさっきの戦闘であなた達二人を葬り去り、私は一人でお宝持って逃走、ホノカさんのことだって私は知ったこっちゃ無い。ほら、貴女の言うとおり、私は怪しい女だわ」
「そうやってヒロを誑かして、いったい何をたくらんでいるの? もっと他に裏がある、裏があるからこそそうやって表面のことで話を逸らそうとしてる! 言いなさい、誰に命令されているのかを! 命令を出しているのは、あの魔将軍だってことを!!」

 掴みかかるような勢いでタエコは詰め寄った。アスカは一瞬何を言われたのかわからないようなきょとんとした表情になったが、

「私は、誰でもない私だけのためにしか動かない、私の心は私だけの物だから、自分の利益にならないことはやらない主義なの」

 裏があるのでは無いかと言うところにだけ反応して言葉を返す。

「自分でも気が付かないうちに傀儡とされてる可能性だってあるわ!」
「もういったい何のことよ! 私にはサッパリわかんない、わかるように説明してよ!」

 それは、あの霊山で自分の肉体の自由を余りにも簡単に奪った魔将軍ユウの力を、身を持って知るタエコだからこそ出た言葉であった。だが、経緯を知らないアスカには何のことか理解できないし、ヒロにしてみてもそんなタエコの精神状態を把握できるほどの余裕はなかった。

「もうよせタエコ、少し冷静になれって。アスカは関係ない」

 今にも振り上げられそうなタエコの左手首をつかみ、諭すように言った。だがその姿がタエコには、一方的にアスカの肩を持っているように見え我慢の限界を超えてしまった。

「な、なによなによ! じゃ勝手にすればいいでしょう、ヒロの分からず屋!」
「あっ!」

 強引に手を振り解く。と、手にしていた杖の先端がヒロの隣に立っていたアスカの目前を通過し、驚いた彼女は反射的に身を引いてそのまま後ろへ倒れこむ。周りの見えなくなったタエコは、溢れる涙を隠そうともせずそのまま奥へと駆け出した。

「ちょっと待てよタエコ!」

 青年の制止も聞かず、振り返ろうともしないで通路の暗闇へと姿を消す。まさにあっというまの出来事であった。

「あいたたた……」

 とり残されたヒロは苦い顔でアスカを振り返り、座り込む彼女に手を貸して立ち上がるのを手伝う。

「大丈夫かい?」
「ええ、ビックリしただけ。それにしても……、きっと相当に嫌われちゃったわね」

 ゆっくりと立ち上がり肩をすくめ、小さくため息をつきながらアスカは言った。あそこまでの反応をされると予測し切れなかった彼女は、青年に対して罪悪感を感じているのか自嘲気味だ。

「あ、ヒロ。ここ怪我してるよ」

 アスカをかばった際に出来た傷だ。頬を掠めた初撃が、青年の頬に擦り傷を作っていた。大した傷ではないと滲んだ血を手の甲で拭いて、アスカの応急処置の申し出を断る。

「昨日からなんだか思いつめてた感じなんだ。いつもはあんなじゃないんだけど、ともかく早く追いかけよう」

 剣や散らばった荷物を纏めると、ヒロは灯りを手にしタエコの走り去った方向に足を向ける。と、その傍らでアスカはなにか思案深げに顎に手を当てて微動だにしない。

「待って、私はしばらくここに居る。すぐに追いかけるならあなた一人で行って」

 背中に声がかかりその歩みを止めさせた。ヒロは困ったようなどうしていいのかわからないような表情で、アスカを振り返った。今は何を言っても事態が好転するとは考えにくかったが、とにかくこれ以上の問題にはしたくない彼は、なんとかしようと一心に考える。

「タエコにはすぐに誤解を解かせるよ。あんなことを言われて気がすまないのはわかる。だけど……」
「違うの、そういうことじゃなくて。誤解ならいつでもとけるから、それよりも今は先を急いだほうがいいでしょ?ってこと。だからここから先は二手に分かれましょう。私は別行動をとらせてもらうわ、手分けして捜索したほうが効率はいいだろうし、そもそも時間的な余裕はほとんど無いわけだから」

 ヒロの反論の言葉をさえぎるように一息に告げると、アスカは腰に巻きつけた皮鞄のなかから通路の地図を取り出して広げ、手際よく青年に説明をはじめた。魔法灯の光に照らし出された地図を細い指でなぞる。

「この通路の先は宝物庫になってるの。扉はひとつなんだけど、出ると通路が左右に分かれるわ。どちらに進んだかわかるように印だけ残しててくれれば、私は後からその逆方向へ探索を開始するから」

 柄だけになった短刀を手渡し、これを目印にして、と続けた。地図はそこまでしか描かれていないので、そこから先は鬼が出るか蛇が出るか進んで見なければわからない。

「アスカ一人で? それは危険だろ」
「大丈夫、さっきは本当に無用心だったって反省してる……。二度と同じ過ちは繰り返さないから、今は私よりタエコちゃんのことを心配してあげて。宝物庫を抜けたらもう敵の支配下にある中心部よ。砦の中にどれくらいの戦力を配しているか知らないけど、早く追いつかないと危険よ。彼女一人では戦えないんでしょう?」

 アスカの言うことはもっともだったが、そう易々と容認できるほど簡単な選択ではないと、深層の意識が邪魔をする。いうなればそれはタエコとアスカの二者択一であり、ホノカの単独行動をとめられなかったことに加えての別行動となれば、いわずとも苦悩するであろう。

「それは、アスカの言う通りだけど」
「いいの、すべて手の内を晒しているわけじゃないのを、私は承知の上でここに居る。あなた達が、一人の女の子を助けるために動いているのは間違いのない事実だわ、だけどそれだけじゃない理由があるのでしょう? そして、その理由の一つが、今回の騒動を裏で操る存在で、私たちを先回りするように動いている謎の占い師……。魔将軍って言ってたけど、ハウザーのところに現れたのもきっとそいつでしょうね。いつその魔将軍が現れてもおかしくない状況だから」

 これまでの情報を総合し筋道を立てて推測すれば、ここまでの解答は充分に導かれるであろう。だが、青年にはアスカがそれ以上の情報を持っていて、なおかつ彼らに負担とならないように行動しているようにも思えるのだ。タエコが感じたような不信感では無いのだが、どうも心の底で引っかかる何かがある気がしていた。

「これ以上余計な詮索は今はしないでおきましょう、外の様子も気になるし、早いとこ賢者様を救い出して脱出しないと。私はヒロを信じている、だから私のことも信じて欲しい」

 とはいえ決断を急がなければならないことは事実だ。こうして話している間にも、タエコは一人で先行してしまっている。

 タエコが一方的に誤解をしているだけで、青年にはアスカの真摯な眼差しに偽りが映っているとは思えなかった。深呼吸をし、ひとつうなづく。

「……わかった、アスカも気をつけて」
「無理はしないって約束する。ヒロもね」

 それはいつもの快活さの欠片もない、弱々しい微笑みだった。

「ああ」

 短く答えたヒロは、そのまま振り向くこともせずに幼馴染の背を追った。その後姿を見つめる眼差しの意味も知らずに。


 青年が離れた後、ふぅ、と大きく息を吐き出してアスカはつぶやく。

「あのタヌキ親父ときたら……こんなのがあるなら初めからいっときなさいよね」

 なにかを吹っ切るかのように、気持ちに整理をつけるように。

 防衛用の殺戮兵器はいまや完全に停止している。アスカが手を触れてももう動き出さないようだった。先ほどの戦闘で思考を司る内部機構は破壊されていたのだが、それは彼女の知りうるところではない。

 カラン、と音がして床に崩れ落ちた胴体の一部の円筒型部品が転がってくる。赤く光を放っていた照準機の側の部品のようだ。接合部である細い管は途中でちぎれていたが、おそらく発射口のすぐ隣に付いていたのであろう。管からはいまだ液体がピュルピュルと漏れていた。

「この小さな中に、飛空船と同じような技術が詰め込まれているのねぇ……まったく、古代人ってのはどんな頭してたんだか」

 動きを再現するための部品は実に微細に作りこまれていて、とても人間の手によるものとは思えない。小さな小さな歯車一つをとってみても、寸分の狂いなく精密に製作されていた。この砦を建造した太古の人々が作り上げた、紛れも無い旧世界の遺品である。上り詰めながら過ぎ去ってしまった時代の業にアスカはただただ感嘆するのみであった。

「水を打ち出す仕組みか、物騒な仕組みね」

 高温、高圧で打ち出された水は研ぎ澄まされた槍と同じ殺傷力がある。わずかに掠っただけで昏倒するような威力は、アスカの知りうる限り対人兵器としてはありえない。攻城戦に使用される長距離城塞破壊弓ならば、あるいはそれだけの威力があるのかもしれないが、人に当てるような命中精度のものではない。

 その機構をしげしげと眺めながら感心したようにつぶやくアスカの瞳に、同じく床に散乱した部品の中で奇妙なものが目に留まる。脚の一本の付け根の下に、壊れた円筒の部品から白い粉末がさらさらとこぼれて、一掴みのちいさな山を形作っていた。

「これは……」

 不安に胸がはねた。床の水たまりに粉を一つまみ落とすと、あっという間に良く溶けて馴染んだ。それを一滴手の甲にのせて香りを確認すると、桃の花に似た甘い香りのなか、わずかに鼻の粘膜を刺激する死の香りが潜んでいた。

「くっ!!」

 すぐに鼻から離して、持ち合わせていた布片で甲から拭い取る。相当慎重に、かつわずか一瞬の吸引でしかないのだが、激しい眩暈がし視界は白くぼんやりと膜がかかった。

 自然と脚から力が抜けて床へへたり込む。涙目になりながらも深呼吸を複数回繰り返すと、ようやく落ち着きを取り戻せた。とはいえ呼吸はまだ荒い。

――これ、神経系の麻痺毒、しかも相当に精錬された高純度な……。

 記憶の糸をたどる。薬剤には明るくない彼女だが、この地方に生まれた者であれば良く知った逸話がある。この砦を制圧された地上人が、指先にも満たない小さな毒蜘蛛を放って海竜人たちを放逐したという伝承だ。

 その大型動物でさえも殺す猛毒に、頑丈な鱗に覆われ剣や弓を跳ね返す皮膚を持った彼らでさえ太刀打ちできず、次々と小さな毒牙の餌食となって倒れたという。古代人たちは、自分たちの被害を恐れその後毒蜘蛛をすべて根絶したといわれている。現在この地方でその姿を見ることはなく、御伽噺の中だけの話だと思われることがほとんどであった。

「……まさか、そんな……」

 呆然と立ち尽くす。守護兵器の一撃は、確かにヒロの頬を掠めていた。人間とは違う生物でさえ命を奪う毒素だ、まともにあたっていないとは言えなんらかの効果はあるだろう。自分で味わった麻痺感からして、それは間違いない。

 伝説では、その蜘蛛に噛まれた海竜人はあっという間に動けなくなったという。神経中枢を麻痺させられた身動きのとれない海竜人たちは、砦を奪還すべく攻め込んできた地上人たちに屠殺され、あっさりと砦を空け渡すことになったのだ。

 だが、立ち上がろうとして、ふとした躊躇いが彼女の脳裏を横切る。

 ここで追いかけたとして、アスカに何ができるわけではない。タエコの方がよほど手当てには熟知しているだろう。

 それよりも先ほど約束したように、自分の役割を果たし賢者を助け出す方が良いのではないかと。

 ひとつ気になることもある。それほどに即効性の強い毒素があったとして、先ほどまでの青年の様子は普段と全然かわりがなかった。

 ということは、彼女が考えている最悪の結果には至らないのではないだろうか。それは淡い期待かもしれないが、ありえない話ではないとも思えた。今しがた、アスカが一つまみの毒粉で作った極めて薄い一滴の毒液でさえあの効果だ。戦闘が終わってからそこそこの時間が経過しているし、何らかの理由で効果が出ていないのではないだろうか。

 それにもし効果が遅れて出ていたとして、タエコに追いついていさえすれば治癒の力でなんとかなるのかもしれない。何しろ初撃だ、長きにわたり動いていなかったことであるし、毒液がうまく内部で生成されてなかったということもありうる。

 目を閉じる。

「……、私、ヒロを……いいえ、二人の絆を信じるわ」

 それは、あまりにも楽観的すぎるかもしれない。だが、ヒロは大丈夫だと、不思議とそう思えた。
 自分では決して間に入れない、二人の絆。なぜかそう考えるとちくりと胸が痛む。

 出会ってからたった数日、それぞれがどんな人となりなのかさえわかってないのに、どうしようもなく彼らに惹かれていく自分がいた。

 立ち上がる。荷物をひとまとめにし、腰に巻きつけて魔法灯を持った。

「行くよ、アスカ」

 不安な足取りに変わりはなかったが、今は自分の為すべき事を成そうと一歩踏み出した――。



 開けっ放しにされていた宝物庫の扉を抜けると、アスカの地図のとおり左右に通路は割れていて左手側通路の遥か先に、薄ぼんやりとした灯りが揺らめいているのが見えた。手渡された短刀の柄を通路の真中にわかるように置き、再び追いかける。走り去っていく足音の反響音は四方から聞こえてくるためあまりあてにならない。今はその小さな灯りだけがたよりだった。

 タエコの姿はまだ見えない。

 先ほどから自分の息づかいが荒く轟音となって耳に響く。そんなに距離を走った気はしないのだが、体中がだるく視界は靄がかかったように白くかすんでいた。

「なんだ……?」

 とはいえ、先に進む脚を緩めるわけにもいかず懸命にタエコの背を追う。通路は細く背の低い造りで、剣の振り回しがきかないようになっていた。

 どうしたというのだろう。まるで、自分の体ではないようだ。全身が火を噴くように熱く、思考と体の動きが一緒にならない。考えがうまくまとまらないのだ。タエコの最後の言葉が、耳の奥で何度も何度もこだましていた。

『勝手にすればいいでしょう!! ヒロの分からず屋!!』

 脚が前に出ない。泥沼の中を走っているようだ。いや、ここはブルーフォレアの森の水仙の咲く沼地のそばで、足を取られるのも当然だ。ぼんやりとした意識の中で、青年は泉に咲く白い花と幼なじみの笑顔を思い浮かべる。

 違う、ここは遺跡だったはず。頭を激しく左右に振り、目を凝らしてあたりを確認すればそこは石造りの通路だ。暖かな陽光も、鼻をくすぐる森の香りもなにもない。

 まっすぐに続く石壁はひんやりと冷えていて、体を支えるようにしてついた手のひらが壁に吸い付くような奇妙な感覚を覚えた。

 しかし、遺跡とはなんであったか、何をしにここに来たのか。一つ一つ確認するうちに、片端から記憶の糸が断たれていく。

 手にしていた魔法灯が甲高い音を立てて通路に跳ねた。鉄の握りから落ちたが、硝子の部分はあっけなく割れてしまった。中に満ちていた魔粒子は一瞬のうちにすべて燃焼され激しく発光し、消える。

 と、遠くで光が揺らめいた。一瞬遅れて、少女の悲鳴。

「キャァァァァァァ!!!」

 遠のいていた意識が猛烈な速度で現実に引き戻される。タエコの叫び声が通路に木霊して、何倍もの大きさで青年の耳に届いた。崩れ落ちそうだった膝から下には、つかの間の力がみなぎる。これが底力というものなのだろうかと、どこか遠くにある意識がぼんやりと考えていた。

「タエコッ!!」

 無意識に声がほとばしる。鼓動の音が脳髄を叩いていた。

 助けなくては――。
 タエコを助けなくては――。

「イヤァァァァァ!!!!」

 再度響いた悲鳴は、意外にもすぐ近くからだ。脚が自然と石床をけりつける。大丈夫、まだ動ける。

 剣を引き抜き、一気に駆けつけた青年が目にしたものは、暗い通路に浮かび上がる青白い骨細工の姿だった。ミシミシと軋む音を立てて、表情の無い顔に落ち窪んだ眼孔の方向を青年に向ける。

 タエコは通路に倒れこんでいた。

 ボロボロの棍棒を振り上げて、倒れ伏した獲物に二撃目を打ち下ろそうとしているその敵を見たとき、青年の中で、何かが、弾けた――。

「ヒロッ!!」
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!」

 少女の声を自分の声で覆い消していた。

 肩からの体当たりで骸骨の戦士を壁際まで突き飛ばす。だが見た目の軽さはそこにはなく、重いずしんとした感触で、壁に叩きつけられてもバラバラになるということはなかった。

 とっさに突き出された朽ちた木盾を、半歩身を引きながらの刃で両断すると、一瞬沈みこんで身体をひねり渾身の回し蹴りを放つ。

 軌跡がぶぅんと音を立て空を切り裂いて側頭部を捕らえる寸前、棍棒をでたらめに振り回し、骸骨はヒロの足の側面をたたいた。恐るべき魔の力で生かされた人形は、闘争心も緊迫感も感じさせず淡々と攻撃を受け流し手いるようにも見えなお不気味に映る。

 心臓が、肉体がこれ以上は限界だと悲鳴をあげた。だが、今ここで倒れ伏すわけにはいかない。

 けたたましい音が響き、棍棒が途中から粉砕された。反動でよろめく敵に間髪いれず袈裟懸けに剣を振り下ろす。バキバキと鎖骨と胸骨、肋骨を砕きながら斜めに切り下ろす。だが浅い。

 まだだ、あと一歩――。

 ぼんやりと薄靄のかかる思考は、今、何物にも代え難い護るべき者を背にして、ただ一つの願いを叶えようと残された力のすべてをふり絞り剣の柄を握りしめる。

「下がってろ!」

 荒々しく怒鳴りつけるように言うと、剣先を対峙する敵の眉間にあわせ一足踏み込んだ。

 たたらを踏んでいた骸骨の戦士は、すぐさま体勢を立て直すと片腕をあげて刃の犠牲にし、打ち落とされる刃を最小限の損失でかわす。文字通り骨を砕く凄音が響き、斬り飛ばされた破片が壁を打って乾いた音を立てた。

 青年の流れるような一連の動作は、とても人の目に追えるものとは思えなかった。が、相手は人ではなく人であることの常識も通用しない。たたき折られた腕をまったく気にする様子なく、骨の戦士は残された腕を真一文字に振り抜いた。手加減や容赦という概念のない一閃は、ヒロの側頭部に叩き込まれ衝撃に視界が盛大にぶれた。

 鼻の奥に鉄錆臭い香りが充満する。寸前、無意識に体を仰け反らせていた効果もあってか、打撃は昏倒するほどのものではなかったが、その破壊力は十分だ。

「くそぉっ!!」

 まるで泥沼を泳いでいるかのように手足は重たく思うように動かない。それが何故なのか知らないだけに、ただただ悔しさが心を支配してゆく。判断力は鈍り、視界範囲もよりいっそう狭くなっていた。状況は一呼吸ごとに悪化するばかり、なんとしても決着ははやくつけなければ。

「ヒロッ!前!!」

 幼なじみの少女の声。焦点をあわせるのにも一苦労するような状況で、彼はタエコの声い反射的に一歩身を引き剣を構えていた。ガンという衝撃は、振り下ろされた棍棒をどうやら上手く刃にあわせられたかららしい。

 頭で理解するよりも早く、体が動いた。横なぎに剣を振り払う。

 あと、もう一歩っ! 両足に力を込めて、前へ――。

 片腕をもがれた魔の生命を受けた呪われし白骨体は、その身体からは予想だにしない速度で後ろに飛び退き、体勢を立て直そうと棍棒を構え――。

 だが、それ以上の反応速度を持ってして深く踏み込んだヒロが、正面で高々と剣を振り上げていた。

 表情の無い髑髏。身体の中心線をなぞるように頭から腰までを一気に振りぬく。

 バラバラと背骨が散らばった。白の破片となった骸骨の戦士は、一瞬にして暗黒の生命を与えられる前の状態に戻った。

「ハァー、ハァー……、タエコ、間に合って……良かった……」

 握りしめていた剣を取り落とす。
 荒い息、急速に視界が狭くなる。ガクリと膝をつき、青年はそのまま倒れこんだ。

「ヒロッ!!」

 消える意識の中で最後に聴いた、耳に馴染んだ幼馴染の声に安堵を覚えながら――。



To be continued.



    
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