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 手のひらに収まるほどの大きさの刃は、今やぬるりとした鮮血に染められていた。それが武器となり得るのか疑問が浮かぶほど小さな、アクセサリーかなにかと見間違えてもおかしくない程度の品であるが、思いつめた者が自らの命を絶つには十分なサイズと、凄まじい切れ味を誇る鋭さを持ちあわせている。

 うち捨てられた短剣は、毒々しい赤を禍々しく照り返していた。

 大小の岩石が無造作に転がる地に投げ出された小刀。その鍔の部分に三角を描いて埋め込まれている宝石が、刀身にまとった紅色と対照的な緑色の燐光を放つ。ホノカの目には剣が血を啜っているようにも見え、嫌悪の表情をあらわにした。

 代々ヴィジョンズパレスの王たちに伝わってきたという護身用の短剣。護身用と言うにはあまりにも小さな武器であるが、魔法国家の象徴たらんとする者の文字通り最後の一矢がこの刃である。だが、その宝飾の美しさに秘められた恐るべき魔力は、ほんの一握りの人にしか知られていない。

 王家の秘匿とするにはいささか凶事めいたその名は、現在誰知られることもなく記録から抹消されている。そのため、正式な当代の持ち主である稀代の女王と謳われたサリィでさえ、その正確な名前を知ることはなかった。彼女にとっては、歴代の王に託された武具のほんのひとつであり、強力な魔を秘めたものというだけでしかない。

 魔力というものは万物の根元として存在しており、それ自身に善悪という物はない。使い方によっては人を幸せにも不幸せにもするが、純粋な力としての存在であり無意味に恐れるものではなかった。

 だが、善悪に関わらず人を簡単に死におとしめる魔も存在する。それを呪われし力と呼ばすしてなんと言うべきか。

――腐敗の毒牙。

 誰の手によって創られた物なのかは定かではないが、それがヴィジョンズパレスの王に献上されるまでは、そのような呪われた名で呼ばれていた。




センチメンタルファンタジー
第十三話「生命」




「どうしよう、治癒が、治癒が効かないのっ!!」

 そう叫んだタエコにヒロは言葉をなくした。ホノカも目を見開いて呆然としている。背筋を冷たい汗が伝った。

「ど、どういうことなんだ! 治癒が効かないって!?」

 動揺を隠すこともできず怒鳴るように聞き返す。先ほどまでとは違う、焦りと苛立ちが過分に含まれていることは本人も承知の上だったが、それを抑えるほどの余裕はない。

「わからない、わからないのよっ! 傷は小さいのに、治癒の力を受け付けないの」

 涙目になりながらも、必死に治癒の聖句を唱えつづける。淡い蒼色の光は、幼少の頃から野山を駆け回り怪我ばかりしていた青年にはもうおなじみのものであったが、この時ばかりはどこか頼りない灯火のように思えた。途方もなく不安な気持ちが押し寄せてくるが、今は幼なじみの少女の力を信じるしかないという状況だ。

 よく見ると押しあてられたタエコの掌の光が、何故か傷口付近でうち消されている。まるでそれを拒絶しているかのように、どくどくと血流が止まらない。

――そんなバカな……ッ!

 ぎりりと奥歯を噛みしめる。ぎゅっと拳を握り厳しい眼差しで睨み付けるよう、その後ろ姿を見つめるしかなかった。

「タエコ、なんとかならないの!?」

 徐々に血の気を失い蒼白になっていくエミルの頬。その半身を抱くように膝にかかえたホノカが小さく問いかける。無理に落ち着いた声をつくろうと努力しているのが痛ましかった。

 その言葉に顔を上げたタエコは、心配そうに見守る少女を複雑な表情で見つめ返す。一瞬の沈黙のあと、ホノカの問いに明確な回答を返さず、再び死の淵を彷徨う少女に治癒の力を開放した。タエコ自身も怪我を負っているのだが、今はそんなもの気にもしていられない。

 治癒が効果を示さない――、タエコにとって苦い記憶でしかない過去の出来事が思い出される。

 あの時からさらに修練を積んできたというのに、自分は再び悲劇を繰り返そうとしているのだろうか? 所詮自分にはそれだけの力がなかったと、またあきらめなければならないのだろうか?

 もうそんなのは嫌だった。誰にも泣いて欲しくなかった。

 出会ってほんの少ししか経っていないはずなのに、赤の他人も同然の娘なのに、彼女の幼なじみの青年は涙を流すだろう。それがタエコにとって何よりもつらかった。

「まだよ! あきらめちゃダメ! がんばって、こんなところで命を無駄にしないで!」

 自分に言い聞かせるようにタエコは叫んだ。意識を失ったエミルに届けとばかりに声を張り上げている。彼女も必死なのだが、無情にもいっこうに治癒は効果を示さない。刻一刻と過ぎていく時に、焦りだけがつのる。

 対象となる者の生命力が著しく低下しているときには、治癒の力が効かない。そう、ヒロは聞かされていた。だから、瀕死の重傷を負った者や既に事切れている者は助けることができない。彼の父親は、タエコが駆けつけたときすでに手遅れだった。

 ではエミルはどうか。確かに胸の中央を一突きしているし、かなりの出血量である。それでもまだ希望は捨てたくない。それにタエコは言っていた、治癒の効かない理由が『わからない』のだと。リファスの時のような手遅れの状態ではないのだと。

 では、何故治癒の効果が現れないのか?

 思案に曇っていたタエコの顔が急に強ばった。長老より手ほどきを受けていたときに教わっていた、もう一つの治癒の効かない理由を不意に思い出したのだ。

「――こ、この子は生きることをもう望んでいないというの!? まだ出会ったばかりでしょう、もっとやりたいことも話したいこともあったでしょう? なのになんで、なんでよ、なんで……なのよ……ッ!」

 ぽろぽろと涙が堰を切ったように溢れた。わななく喉がうまく言葉を発することの邪魔をする。

 治癒の力は生への想いに深く関係している。その者の生きたいと思う気持ちがなによりも必要なのだ。たとえ意識を失っていたとしても、心の根底に生への執着心がほんのひとかけらあれば、力を具現化させることができる。

 だが、自分の存在を疎み、蔑み、在ることが悪であると心を閉ざしてしまったエミルには、治癒の力が受け入れられない。死を望む者には、奇跡は起こらないのだ。

「タ、タエコ、それってどういう……」

 ホノカが心配そうな顔で尋ねる。ヒロはなにか知っているのか、渋面のまま無言でなにも言おうとしない。不安な気持ちに共鳴するように、鼓動が止めどなく早まっていくのを抑える術もなく、ただ呆然と見守るだけだ。

 だが、そんなホノカの言葉を遮るようにタエコは顔を上げ、キッと眉に力をこめた。涙の跡を拭おうともせず、決意の表情で口を開く。

「こんな終わり方なんて認めないからっ、私はそんなのゆるさないんだからっ!」

 まだある。まだ手はある。その想いだけがタエコを突き動かした。どんな結果を招こうとも、ここでこの少女を見捨てることはできなかった。生きてここにいて巡り逢えたことの奇跡を無にしてしまったエミルに対して、自分でも考えつかないほど意識の奥底で彼女は怒っていた。

 タエコの聖句の調子が変わる。どこかゆったりとした響きから、速度のある強い言葉の連なりへ変化していた。それまでの治癒の力とは違うことが、あきらかにわかる。

   ル=ティラス  ディヴァウェ  サクゼ=ズ  リージナスコヴァ  ダンドラサーレィ
――汝 時の歯車を廻す者よ 虚ろのごとき流れの大河に浮かびし小舟の漕ぎ手を

「タエコ! おまえいったい何をする気だっ!?」

 様子に気がついたヒロが声をかける。たが、集中状態に入ったタエコにはその声がどといていない。消耗状態にある上もともと成功確率の極めて低いこの力を、なんとか発動させるために今は一心に聖句を紡ぐだけだ。

「きゃっ!!」

 ぱちんという小さな刺激にホノカが小さく悲鳴をあげた。抱きかかえるようにしていたエミルの身体が、重力の束縛を離れて宙に浮きあがる。タエコの力が、自然のことわりをねじ曲げていた。

 ゆるゆると、エミルの身体はヒロの目の高さより遙か高いところまで浮上する。

   アパ  ナグゼラ  ホー=エルファ  ケイツディスタリ  エンドゥルゥド
――監視者は諫め 篝火を灯し 漆黒の闇夜に導なす 我は停める者 

 癒しの光とはちがう、強烈な聖光がタエコの手に宿っていた。それはヒロの見たことのない力であり、タエコ自身も実際に使うのは初めてという力である。

「ヒロ! タエコは……、エミルはどうなってしまうの!?」
「わからない、わからないよ、オレもこんなのは見たことがないんだ!」

 聖句は、ヒロ達の共通語とは異なる響きを持つ。太古の人々に使われていた言葉であるとか神々の唄であるとか、さまざまな諸説があるが真実はなにもわからない。治癒の力を有す者には生まれたときからはっきりとその意味がわかり、そうでない者は幾度聞いていたとしても音の連なりであるとしか認識ができなかった。

   ファーアルヴァ  ミディガンドゥーダ  ディセルド  フォス  ジング=リア
――冷厳なる力すべてに干渉を与え 終末の休息を凍結させし輪を創り

 タエコの掌は今や直視できないほどの光度で輝いていた。額には珠のような汗がびっしりとうかんでいる。かつてないほどの力の充足を感じながら、彼女の意識は一つに向けられていた。

 生きなさい、生きて、生きて、……すべての可能性を否定してはダメ!!

   クゥ  ロージュ
――扉 閉じる……

 すぅーっと、大きくタエコは息を吸い込んだ。そしてカッと目を見開く。太陽を思わせる黄金の煌めきが、その掌に球体を形作っていた。

  ヴァン  =  デン  =  ヴェイルスター
「卆・滞・天・繋・留・幽・魂・刻・停・結ッ!!」

 静寂に包まれる霊峰に、その言葉は遙か遠方の山々にまで木霊してゆく。

 手のひらがエミルに掲げられると同時に光は一気に収束し、射るほどの強烈な閃光を撒き散らした。しかしそれだけではおさまらず、あたりからすべての光を吸い込んで、真昼に一瞬の暗闇が訪れる。

「!?」

 わずか一呼吸。ほんの瞬きをするかしないかの刹那の時。

 ヒロは暗闇の海原に投げ出され、方角も上下さえも判別がつかない恐怖を感じた。生命の鼓動が停止し、自分の周囲のすべてが虚無に飲み込まれたのではないかと錯覚するほどの恐怖を。

 墜ちていく。底のない、何もない、漆黒の闇夜に、墜ちて、墜ちて、墜ちて……。

――光が、戻った。

「っっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ――」

 目の前にホノカの顔があった。焦点があっておらず、青年と同じように肩で息をしている。青年は、強烈な脱力感に思わず膝をついてしまいそうになる身体を、最後の意識で無理やり引き留めた。

「な、……に? いまの……」

 対峙するホノカはがっくりと膝をついおり、憔悴しきった表情をしていた。二人とも何が起こったのか把握できていない。

――タエコは?

 はっと顔を上げヒロは少女の姿を探した。と、見回すまでもなく、さきほどと同じ場所にタエコの姿を見つける。

「タエ……」
「ヒロ」

 青年が名を呼ぶのと、少女が名を呼ぶ声が重なった。ゆっくりと振り向いたタエコの顔に、疲労の色が濃厚に浮かんでいた。血の気をすっかりと失った蒼白な表情、いまにも倒れてしまいそうなほど目に見えて消耗している。

「私の力では……、これが精一杯なの……。もっと力のある人じゃないと……、私みたいな役に立たない力なんかじゃない……、もっと強い、強いちからの……」

 ヒロはじわりと涙を浮かべる幼なじみの側にすっと歩み、何も言わせないように抱き寄せた。初めて唱えた聖句、発動したのか失敗したのかそれはわからないがその力に体熱を奪われたため、タエコの身体は冷え切っている。

「もういい、なにも……言うな……」

 喉まで出かかった言葉をぐっとこらえ、心の中で良くやったと少女を誉める。力の及ばない――、どうしようもない事も、この世にはある。そのことを口に出した瞬間に、肯定してしまった瞬間に、すべての努力を無駄にしまう気がしていたから、青年はそれ以上何も言おうとしなかった。タエコの努力を、その想いを無碍にすることがどうしてできようか?

「ちがうの、ヒロ。私は大丈夫だから……、だからエミルを……」

 だが、ほんの一瞬だけ青年の胸に自分の身を預けた少女は、すぐにその抱擁から抜け出し視線を宙に移した。つられてヒロも同じ方向に目を向ける。

「エ、エミル……、無事なのか……?」

 ゆっくりと空中からエミルの身体がおりてくる。淡い光に包まれた小さな身体からは、今や生命の息吹が感じられない。……いや、極わずか、ほんの微かにだが消えずに残っているようであるが、これはどういうことなのか?

 ヒロはエミルの身体を両腕で受け止めた。軽い。あまりにも軽い。堅く目は閉じられており、呼吸もしていないように感じるのだが出血は止まっていた。

「――時の流れを凍結させたのね」

 いつの間にかすぐ隣に並んでいたホノカがそう口を開いた。疲れた、でもどこかほっとした表情でタエコがこくりと頷く。珠のような汗が、陽光をきらりと照り返した。

「ええ、まだ……希望は捨てたくないから。可能性をゼロにしたくはなかったから」

 それは彼女にとって大いなる『かけ』だった。結果的に力が足りず、あたりの『生命力』を吸い取ってしまうという事態に陥ったが。なんとか、力の暴走という最悪の事態は免れたようである。

「ヒロ……、この力はあまり長い期間は持たないわ。それまでにもっと力の強い治癒師を見つけて蘇生を施さないと……、今度こそエミルは……」

 口をつぐむタエコ。みなまで言わなくとも、青年にその意味は通じていた。苦々しい表情で、わずかに頷く。

「……わかった」

 まだ『かけ』は終わっていない。治癒の力の変形である時を留める力、それが切れるまでに治癒師を探さなければならないのだ。あくまでも結果を先延ばしにしただけなのだから、手放しで喜べるような状況ではなかった。

 うっすらと光の膜に包まれたエミル。お世辞にもやすらかとは言い難い、辛そうな表情で死んだように眠る腕の中の少女に、彼は小さく呟いた。

――もう一度、君の笑顔が見たいんだ、エミル。

 できるなら時間を戻したかった。それが無理な事だと、わかっているのだけれど。



 下山の足並みは、来るとき以上に強行軍となっていた。中腹とはいえども、登ってきた時間を考えればずいぶんと『森の路』まで距離が在るはずだ。ホノカの天馬を呼ぶことも考えたが、この広さでは着地はできても飛び立つことがなかなか難しい。それに意識を失った者を乗せて飛ぶことは非常に危険だ。

 残念なことにホノカは、ブルーフォレアから一瞬にしてノースグリーヴまで移動した『帰還』の魔力石をこの旅には所持してきていなかった。もともと単一方向の移動しか行えない『帰還』は、遙か遠くの地を目指すこの旅には必要がなかったからだ。

 結局ヒロ達に残された選択肢は、急いで下山し馬たちと合流してから次の街を目指す以外になかった。ノースグリーヴまで戻ることをホノカは強く提言していたが、それではあまりにも時間がかかりすぎる。次の都市であるティレンサイドまでの、ゆうに倍の時間がかかるだろうことが、最も安全な策である帰還の道を躊躇させていた。

 昨晩過ごした山小屋より、西側に向けた登山道が開けていることが唯一の救いで、そちらを下ればずいぶんと時間の短縮をはかれる。

 青年はエミルを背負い、ホノカとタエコはお互いを支え合うよう肩を貸しあって、急峻な斜面の続く山道を滑るような速さでおりていく。一瞬の油断が命取りになることは重々承知の上で、無謀とも思えるほどに急いでいた。

 タエコの施した『時間を凍結させる』という処置が正直どこまで保つかわからない。明日突然途切れるかもしれないし、もっと長い時間維持し続けるかもしれない。本来ならば七日から十日ほどは保つという話なのだが、なにしろ発動時に暴走しかけている。完全な力として、具現化したものではないかもしれないとなると、もうそれは一秒でも急いだ方がいいとしか言いようがなかった。

 そして、この力には2度目はない。同じ対象に対して奇跡は一度しか顕れず、あとはまんじりとして死を迎え入れるのみ。

 遙か遠くにしか望み見ることができなかった秀麗な霊峰の頂が、こんなにも近く俗世を忘れさせるほどに美しく悠然と聳えているというのに、焦燥に駆り立てられる彼らにそれを眺めるべく余裕は、今や露ほども残されていなかった。



 早朝から昼までかけて登り詰めた道をわずか三分の一の時間で下ることは、体力だけは人一倍ある青年でさえ肩で息をするほどの大仕事であった。数日間にわたって森をかけながら狩りを行っていたこともある故郷のことを、少しばかり思い出す。

 標高が高いせいか気温は高くない。とはいえ、装備を整えた状態でしかも人ひとりを担いででの下山では、さすがに汗だくにもなる。この空気の薄さがなんとも憎らしい。

 息を切らせて山小屋まで戻ってくると、残されていた馬たちが極端に怯えたいななきを青年達に向けた。

――どうしたのだろう……?

 疲労に朦朧とした意識の中、今朝ここを発ったときとはどこか違う不穏な気配を察知する。彼の中でなにかが『危険だ』と必死に訴えかけてくるようだ。

 流れる風の匂いに殺伐としたものが含まれている。静かだった森の空気がどうしようもなく粟立っている。冬季で餌のない時季で野生の獣の群れる場所ならばそれも珍しいことではないが、手負いの獣でもなければこれほど人に対する悪意を振りまくものではない。数はそれほど多くはないが、複数の睨め付けるような眼差しが、じろじろと不躾に到来した獲物を見据えていた。

 遅れて、ホノカとタエコがたどり着く。立ち止まっている青年に、二人とも怪訝な表情だ。青年よりもさらに体力的余裕のない二人は、あたりの状況を把握できていないらしい。大きな力を行使しながらも、なんとか自分の足で降りてきたことを言えば、それもしょうがない事なのかもしれないのだが。

「……どうしたの? なにか……」

 タエコが最後まで言葉を紡ぐ前に、小屋の扉が盛大な音をあげて蹴破られた。

「!?」

 三人の視線が、小屋に向けられる。扉の奥から、ずんぐりとした体型の大柄な男達がゆっくりと出てくるところであった。

「くそっ……、なにもこんな時に」

 突然の出来事に呆然とする二人を後目に、なんとなくであるがそんな予感のしていた青年は、小さく毒づいた。

 関所で聞いていた、中立地帯に住み着くならず者達の噂。法の力の及ばぬこの地で、霊峰を訪れる者や旅の商人達を相手に、悪逆非道の限りを尽くす外道の者達。山賊や盗賊、野盗、おいはぎ、などたくさんの呼び名があるかもしれないが、何一つ間違いのない事実は、彼らが人を殺めるのになにも躊躇をもたないことだ。

 だから関所の兵達はしきりに注意をしていた。どの者も、既に国には属することのできぬ大罪人であり、襲われたときは戸惑うことなく斬って捨てよ、と。

「なんでぇ、まだガキじゃねーかっ!」

 粗野で野卑な野太い声が、呆然としていたタエコとホノカを我に返した。

 先頭に立つ男が首領格なのか、他の者達は一歩控えた位置でにやにやとことのなりゆきを見守る。動物の毛皮でつくられたベストにはじゃらじゃらと鎖のようなものが縫いつけてあり、手には武骨だが強力そうな戦斧が握られていた。下卑た笑みを浮かべながら、これから起こるであろう血なまぐさい惨劇に、べろりと舌なめずりをする。

「おお、野郎どもみろ! ひとりはものすげぇ別嬪な娘だぜ!」

 汚らしく髭を伸ばした首領格の男が、自分たちの優位さを確信したように後ろに控えた仲間達にむかって言う。少女達は向けられる好色な瞳に、嫌悪の感情をあらわにした。

「怖がるなよ、オレ達は優しいぜぇ。泣いても許さないくらいにはな」
「その若さで二人もつれてるなんざぁ、よっぽどのモノを持ってるってか?」
「とっかえひっかえとは羨ましい限りだね、オレ達にもおすそわけしてくれよ」
「それともあれか、おまえさんが二人の下僕のほうか?」
「げははははっ、ちげぇねぇぜ。そんなひょろっこい身体つきじゃなぁ!」

 次々と浴びせられる下品な会話。身長や体格、見た目の年齢に差はあるものの、どの男達も無法のならず者だ。久しぶりの獲物だと気を入れていたのが、まだ若い無謀な3人組だったのだから、勝利を信じて疑わない。

「なんか背負ってるみたいだなぁ? そいつも娘か」
「罰当たりなやつだな、霊山で一発やらかして、気絶でもさせちまったんじゃねぇの」

 あまりにも汚らわしい言葉の数々に、沸々と怒りがこみ上げてくる。ぎりりと奥歯を噛みしめ、鋭い瞳で青年は男達を睨み返した。全部で五人、剣や斧など鋲打ちの皮鎧などそれぞれに武装している。茫洋としているようでそれほど隙を感じさせないのは、決して戦いの素人などではない証だ。

「なんの用だ? オレ達は急いでいる!」

 暴発しそうになる感情を抑え、声を張り上げてヒロは言った。と、一瞬男達の会話が止まる。

 次の瞬間、大声で野盗達は笑い出した。

「みりゃあわかるだろ? おまえさんたちの荷物を奪って、俺らがハッピーになるって寸法さ」
「関所で聞かなかったか! こわーい人たちがこの辺一帯を根城にしてるって」
「聖域でヤッちまうくらいの恥知らずには、そんなこと気にするオツムが足りねぇんだろ。まともな奴ならこんなとこまでこねぇよ」
「そうそう、霊峰に祈願にくる気の触れた奴でもなきゃな」

 さもヒロの問いかけが愉快だったと言わんばかりに、腹を抱えて笑っている。誰の目に見ても、この対峙の優位さは山賊達に分があると思えるのだからそれも仕方がない。

「まぁまて、急ぎたいのならいかせてやるさ。ただし――」

 首領格の男が、にやにやと笑いながら青年に向けて言う。

「有り金全部だせとはいわねぇ。――その娘三人も置いていくなら、な」

 血液が逆流するかのような嫌悪感。

――何故人はここまで堕ちることができる?

 青年はゆっくりと背中の少女を大地におろした。ほっそりとした身体を横たえて、その頬にかるく触れた。時の流れを止められた少女は、まるで凍り付いているかのように冷たい。

――徐々に訪れるという魔の驚異を、何故感じない?

 荒ぶる激情を押しとどめ、沈黙したヒロはもう一度たちはだかる男達を眺める。

――人の敵が人だというのならば、何故女神は自分に助力を願ったのか?!

 青年にはその者達の姿が醜悪なものにしか感じられなかった。魔軍との戦いは既に始まっているというのに、やがて滅亡がやってくるかもしれないというのに、刹那的な快楽に身を任せるだけのこの者達をも赦し助けることに何の意味があるというのか? この者達と、あの魔物とどこが違うというのか?

「ヒロ……、どうする気?」

 沈黙していた青年にタエコが声をかけた。その声がわずかに震えているのは、対峙する下劣な男達にというより、これから起こるであろう惨劇に対して恐怖を感じているからなのだろう。どんな命であろうと、治癒師の目から見れば等価であるのだから。

「おうおう、やめとけやめとけ。この人数だぜ、格好いいところをみせようとして、せっかく助かる命を投げ出すなんて、賢い人間のやることじゃねぇ」

 祭壇で手にした神剣デアドゥルスには手をかけず、もともと持ってきていた父親の形見の剣を青年は引き抜いた。このような者達を相手にするのに、神をも引き裂くと唄われた剣の力を借りる必要などない。

「もう一度だけ言う。オレ達は急いでいる。邪魔をするならば――、斬るっっ!」

 いつしか暗雲がたれ込めていた。先ほどまで青かった空に、墨を流したような黒い雲が一気に広がっていく。ぽつり、と、大地に小さな水滴が染みをつくり、それを皮切りに雨足はどんどんと早まる。

「ちっ、濡れるのは御免被りたいところなんだがよ。てめぇがやる気だっていうなら、容赦はしねぇっっ!」

 突如の雨に、男達も難色をしめした。とはいえ、目の前の獲物を逃す気はさらさらない。年頃の娘もいるようだし、無謀な青年をかるくひねり潰しお楽しみの時間にしよう。殺気を全身から迸らせ、戦斧を片手で構えた。

「……ホノカ、二人を頼む」

 遠方で雷鳴が閃くのと、青年が駆け出すのはほぼ同時だった。

 首領は唸るような雄叫びをあげ、戦斧を振りかぶる。他の男達も、愛用の武器を手に散開し、いつでも攻撃を加えられる体制に入った。

「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!」

 大柄な男はぎょろりとした瞳を血走らせながら、疾風のごとき速さで距離を詰めた青年に向けてその斧を横薙ぎに振り廻した。ぶぅんという風斬り音が雨音にかき消されることなく、後ろの二人にまで届く。

 だが青年はそれをさらに上回るスピードで、内懐に入ると駆け抜けざまに振り下ろされたその腕を断った。

「ヌォッッ!!」

 鮮血とともに、斧を握りしめたままの太い腕が大地に突き刺さる。何が起きたのか、男達で把握できたものはいない。首領格の男は、切断面を抑えながら、ぬかるみ始めた大地につんのめるように倒れた。

 血しぶきに表情をゆがめることもなく、青年は次の獲物に目標を移す。

 ヒロの剣は停まることを知らなかった。駆けてきた勢いを弱めず、すぐ後ろに控えていた長身の野盗に斬りかかるとわずか一呼吸のうちにその胴を薙いだ。おびただしい量の血液とともに内臓をはみ出させた男は、わけも分からずに前のめりに倒れて絶命した。

「っんの野郎ッ!!」

 一瞬で二人もやられた野盗達が、ようやく我に返って躍りかかってきたが、もうそれも後手のことである。

 二本のナイフを両手で扱う男は低い一撃で脚部を斬りつけると、自分の飛びかかった勢いを殺せず派手な音を立てながら大地を転がった。そのまま樫の巨木に頭からぶつかり、鈍い音が響いた跡はぴくりとも動かなくなる。残りは二人。

 人間は脆い。あの魔物にくらべれば、鋼と紙ほどの差がある。騎士達のように鎖帷子に鋼鉄の全身鎧を装備していればそうは行かないが、この者たちのように毛皮や皮鎧程度では、青年の剣を止めることなどできなかった。

「貴様っ! 何者だっ!? 国の刺客かっ!?」

 まだ無事な男二人に戦慄が走る。手にした鉈のような剣が、一瞬の惨劇に恐怖し所在なく揺れる。

 雨足はさらに強まり、今や打ち付けるような雨が痛い。稲光が暗雲たれ込める空にきらめき、そう間をおかず雷鳴が轟いた。近い。

 ゆっくりとあげた顔は、青年自身のものではない返り血で真っ赤に染まっていた。そして、そこには表情というものがない。怒りも憎しみも見いだすことのできない、人形のような無感情な瞳。淡々と敵を斬る、それだけの想いしか存在しなかった。

「下種に名乗る名などない。せめて、このひとときだけでも自分の冒してきた過ちを悔いて逝け」

 まるでなにかが乗り移ったかのように、青年は吐き捨てた。自分がなぜここまで激情に駆られているのかわからない。なぜこんなにも攻撃的になっているのか理解できない。

 だが心は意外なほどに静かであり、どこか遠くで起こっていることを傍観しているようで、まるで戦っているということの実感がわかなかった。

「調子にのるなよっ! この野郎ォォォォォ!!」

 目配せをしあい二人同時に攻撃を繰り出してきた。一対一ではかなわないとわかったのか、それとも単にお互いを牽制しあっただけなのか。自らを鼓舞させるための雄叫びをあげながら、青年を挟む形に間合いを詰めた。

 左右から降り出された剣。青年は恐ろしいほどの跳躍力でそれをかわし、頭上の木の枝をつかんだ。目標をうしないつつも急には止められぬ剣に気を取られる男達を後目に、反動をつけて枝に足をかけ逆さにぶら下がる。そして目にもとまらぬ速さと曲芸士のような軽業で、同じほどの高さにあった左側の男の首を刎ねた。

「!?」

 最後のひとりの目がその光景を追う。先ほどまで仲間だった残骸が噴水のような鮮血を吹き上げ、豪雨を赤く染めた。頭部がべしゃりと大地に叩きつけられるのと、青年が身をひねってあざやかに着地するのとが重なる。また一つ雷音が轟いた。

 ゆらり、細身と呼んでも差し支えのない片刃の剣を手に強まる雨煙のなか青年が立ち上がる。濡れた前髪が額に張り付き、伝う雨粒が頬の朱色を溶かして落とした。

「嘘だろ……、嘘だろぉぉぉぉ―――――っっ!!」

 剣を放り投げ、青年に背を向けて男は逃げ出した。残された選択肢では、それが一番賢いものだった。青年はその背を追おうともせず、気怠げに小さくなる男の姿を眺める。ひとり逃げたところでどうともなるものでなし、どうでもよくなっていた。

 次の瞬間。網膜を焼く強烈な光と、鼓膜を破るほどの轟音、空気を振るわす振動が一気に襲いかかった。視覚と聴覚が麻痺するさなか、ギェという短い断末魔の叫びが、青年の耳にははっきりと聞き取れた。

 偶然か、それとも何者かによるものか、――逃げ出した男は、稲妻に貫かれ絶命していた。

 遅まきながら、繰り広げられた惨劇によって撒き散らされた鮮血と肉片に、タエコが吐き気で咽せ返り口元を抑えて木陰に駆けた。魔物たちの体液とは違う、自分と同じ赤色の血。刹那の斬合で、瞬く間に四人も屠り命を奪ってしまったものが、本当に自分の幼なじみなのかと不安になる。彼女は泣いた。泣きながら運命の惨さを呪った。

 ホノカも凍り付いたようにその光景を眺めることしかできなかった。血の気を失った蒼白な表情で、それでも必死に目を見開いて青年を見つめている。青年に言葉はなく、黙ってその視線を投げ返すだけだった。悲しく辛い瞳をしていた。いまにも崩れ落ち泣き出しそうな顔をしていた。それは強さと弱さの背中合わせの仮面――。

 ホノカの視界に動く者が入った。青年との間に倒れ伏していた男が立ち上がり、そしてそのまま彼女たちの方へむかい駆けだしてきた。片腕を切り飛ばされた首領格の男だ。

「ホノカ!! 剣を、剣を抜けっ!!」

 はっと青年の表情に、いつものような色が戻る。気づいて駆け出すが、追いすがる前に男は少女達の元へ到達してしまうだろうことが目に見えていた。

「シィィィィィィネェェェェェェェェッッッ!!」

 ホノカの目の前で男は傷口から鮮血を滴らせながら、のこったもう一方の手で腰の短剣を抜く。怒りに我を忘れているのか、そのまま振りかぶると躊躇なく振り下ろした。

「ホノカァァァァァァッッッッ!」

 青年の絶叫が、森に木霊した。


 ――そして、鮮血。


 視界に広がる赤。先ほどまでとは比べものにならないほどの血しぶきは、貫かれた位置が寸分違わず心臓であったことを物語っていた。背中から突き出した細身の剣の切っ先が、身長差からか天を向いている。

 盗賊はごぼりと血液を吐き出すと、それっきり事切れて白目をむいた。がっくりと力を失い巨漢が倒れる。ホノカは死体から自分の剣を引き抜くこともできず、呆然と立ちつくしていた。

 身体が自然と動いていた。

 刃を向けられ、もうダメだと思ったそのとき、無意識の一瞬で剣を引き抜いた彼女は、相手の内懐に飛び込むように剣を突き立てた。飛びかかる勢いもあり、重たい手応えとともに王家の剣は深く鍔元まで相手を貫いていた。

 そんなつもりではなかったのに。殺そうと思っていたわけではないのに。

「……ホノカ」

 いつの間にか側に来ていた青年が、厳しい表情でその肩をつかんだ。少女は緩慢な動作でヒロの顔を見返す。

「……人を殺めるのは、初めてか?」

 びくりと少女の身体が跳ねた。そしていやいやと駄々をこねる子供のように、激しく首を左右に振って青年の言った言葉を否定しようとする。そしてヒロの手から逃れようと藻掻いた。

「嫌ッ! 聞きたくない、離して!!」

 たしかに悪意しかない、たくさんの罪を犯した外道の者たちであった。

――でも同じ人間。

 彼らは敵意をむき出しにし、傷つける刃を自分に向けてきた。

――でも殺す気はなかった。

 衝撃だった。いまさら綺麗事を並べ立てるつもりはないし、ある程度覚悟もしていたはずなのに、実際に事が起きた時自分がこれほどまでに拒絶をするとは。

 さらに強くなった雨が、容赦なくヒロ達に降り注ぐ。雷鳴はどこか遠くで響いているようで、先ほどのような轟音ではない。

「聞いてくれ、ホノカ! 落ち着いてくれ」

 暴れるとまでは行かないが、明らかに取り乱している。いかに天馬騎士と雖もまだ無垢な少女、命の重さに耐えられなくても無理ははい。

「嫌なの、聞きたくないよっ! 私は、私はっっ!!」

 パシッ――。ヒロはホノカの頬を張った。軽くだが、落ち着かせるのにはそれなりに効果があったのか、再び呆然とホノカはヒロを見返した。四人を斬り倒し、ホノカを見つめていたあのときの瞳と同じだった。

「聞いてくれ。……辛くとも、目をそらしてはならないことがある」

 じわりと涙を浮かべ、ホノカは神妙な顔つきで頷いた。雨に体熱を奪われ、連続して起こる残酷な現実に少女の精神は相当の衝撃をうけている。

「俺が初めて人を斬ったのは一五の時だ。父親と国境の町まで物資を買いに行き、その帰りに襲われた」

 状況は今回とさほど変わらなかった。違うのは、ヒロが今のホノカの立場にあったことくらいで、同じように彼は野盗を斬った。表情と口調からその状況が、ホノカにも直感的に理解できた。

「父は言った。この痛みを忘れるな、と。たとえ相手がどうしようもない罪人咎人だったとしても、自分の行動を正当化するな、結果を受け止めて耐えられるようになれ、と」

 この場にタエコがいないことが、青年にとってありがたかった。生命の価値を、どんな者に対しても等価と考える少女には、少々酷な話だろう。

「受けきれず溢れた分はかまわない、それは俺がなんとかするから。辛かったら、耐えきれなかったら、そのときはきっと俺が守るから。だからホノカ、自分自身を傷つけるのはやめてくれ。それだけは、守ることができない」

 意味を取り違えれば、愛の告白にも聞こえたかもしれない。だが、ホノカにはその青年の思いが伝わった。痛いほどに真摯な眼差しが、自分を強く支えてくれると感じた。

「……うん」

 数呼吸の間をおき、小さく頷く。これが彼女の選んだ道なのだから、青年達の始めた戦いなのだから。

「雨が収まるまで小屋で休もう、ここは俺が片づけておくから」

 ヒロは倒れ伏すエミルを背負い直し、木陰にてうずくまるようにしているタエコをホノカに頼んで小屋へ足を向けた。今は休息が必要だ、少女達にとってはとくに。

 雷鳴を伴った豪雨が、これほどありがたいと思ったことはない。殺戮の血の匂いも、身体に付いた返り血の跡も洗い流してくれる。あとは死体を森の中にでも転がしておけば、そのうち野生の獣たちが始末してくれるだろう。


――もっと、強くならなくては。


 青年も少女も、今は同じ思いを抱いていた。


To be continued.




    
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