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 高地になればなるほど空気は薄くなってくる。照りつける陽光は優しいが、風があり暖かいとは言い難い。霊峰ジルヴァニアは今、たち向かう3人に対して厳しい自然そのものを体現していた。だが、これでも今日は気候に恵まれた方である。

 早朝の出発であったため、当初は深い霧に包まれていたのであるが、日が昇るにつれ気温も上がり霧も晴れた。あいかわらず風は冷たいが、耐えられないほどではない。獣道のような先人たちがその行程でのみ作った道は、峻険な霊峰へこざかしくも挑む小さな存在の精一杯の主張のように思えた。ここまで上ってくると背の高い木々も少なくなり、岩がちな山肌が続く。

 中腹部の小屋を発ってから、登頂3時間にしてエミルが歩けなくなった。タエコの荷物の中から何枚か服を拝借し、軽装の少女に着せていたので気温の点では昨日よりはましであろう。だが、体力というのはどうにもならない。もともと小柄な上に、ホノカのように戦闘訓練を受けているわけでもない少女にとって祭壇への道のりは険しすぎた。希薄な空気は青年でさえすぐに息が上がってしまうほどなのだから、エミルを責めることはできなかった。

「……ごめんね、ヒロ……」

 涙ぐむエミルを背負い、ヒロは一歩一歩確実に大地を踏みしめて山道を登った。青年からすれば、少女の純粋な心を誉めることはあれ踏みにじるつもりは毛頭ない。実際、よく頑張ったのだ、ここまで。

「足手まといになってるよね、私……。ごめんね、本当にごめんね……」

 大柄な体格とはいえない青年であるが、体力だけは人一倍あるほうだ。こういうときに使わなくてどうすると、自分自身を奮起しヒロは歩を進めていく。背中の少女はすっかり息が上がって手足も自由に動かなく、加えてめまいと貧血のような症状に襲われていた。典型的な高山病に、エミルは涙を流しながら青年へ詫びる。

「大丈夫、エミルは軽いから全然平気だよ」

 いつになく自然に口が動いていた。これ以上少女の心を傷つけることはできないという無意識下の想いが、そのような言葉を紡がせたのだろう。昨日までの意地を張っていた自分が、情けなくて恥ずかしくなってくる。

 休憩し回復をまつだけの余裕がないことが、なによりも悔やまれた。せめてもの思いで背負ってここまできたが、逆に少女の心を痛めている原因になっている。だが、引き帰すことはできないし、これ以上つらく当たることなどできようもない。それこそタエコに申し訳が立たないというものだ。

 先をゆくホノカが、急な斜面を二人分の労力を賭して登る青年をふり返った。昨日の張りつめた表情とはまた違う、やわらかな優しさが漂っていた。一見して無理をしているようには見えないが、それでも必死さの伝わる表情だった。

 青年にはひたむきな情熱がよく似合う。昨日の一悶着も、タエコがさらわれたための一時的な感情の高ぶりをぶつけてしまったためであろう。それが単なる八つ当たりでしかないことにはヒロ自身も既に気がついていた。

 ただ、どうにも切り出すタイミングがなく謝ることも感謝の気持ちを伝えることもできないでいる。だから、いまはひたすら寡黙に祭壇を目指すだけだ。

 と、悪い足場に辟易していた青年の目の前に、すっとホノカの手が差し出された。

「つかまって。祭壇はもうすぐそこだから」

 一歩ごとにぐらつく岩地を登るヒロを見かねたのだろう。どこか気まずさの残る青年ははじめその手にとまどったが、「ああ」とだけ答えて白い手を握り返した。

 武骨な青年の手とは違う、細くしなやかな女性の手はグローブ越しにでもよくわかった。小さいが力強く、暖かみのある掌。

「あ、ありがとう」

 ようやく伝えられた感謝の気持ちが、二人の間にできかけていた壁を崩してゆく。やはりこの少女は自分などよりもずっと強い。そうヒロは心から思った。

 ほっとしたような、それでいて見るものを魅了する甘やかな微笑を浮かべてホノカはゆっくりと頷く。それだけで充分だった――。



センチメンタルファンタジー
第十一話 「巫女」




「意外に早い到着だったね、そんなに彼女のことが心配かい?」

 待ち受けていた人影に一同は緊張を走らせた。まだ山頂は遠く、目的の場所まではずいぶんと登らなければならないだろうと覚悟していただけに、そのあまりにも早い敵の登場には不意をつかれた。

 険しい登りに休息を与えるかのように、その場所だけ平坦な広場のようになっている。だが、そこには大小の岩がごろりと転がっているだけで、祭壇と呼ばれるようなものは何一つなかった。いや、良く目を凝らしてみると空間の四隅に据えられた巨石はなにかの石像のようにも見える。それだけで祭壇と判断するのは至難の業であり、先客がいなければそこが指定の場所だったとは三人も気がつかなかっただろう。

――タエコは魔将軍に羽交い締めにされ、喉元に短剣を突きつけられている。後ろ手に縛り上げられて、騒がないようにと猿ぐつわをもかまされていた。

 タエコは有り余る魔力を有した魔将軍が、なぜ魔法で自分を縛り上げないのか疑問に想いながらも、その瞳が青年を確認した瞬間にすべてどうでも良くなってしまっていた。うれしさと切なさのない交ぜになった感情が胸にあふれる。

「タエコを離せっ!」

 青年は背中のエミルをおろすのももどかしく短く叫んだ。ふつふつとわき上がる激情が、押さえようもなくふくれあがっていく。ただ、幼なじみが敵の手の内にあるうちはおいそれと不用意な行動はできない。

 ホノカが気を利かせて、足もとのおぼつかないエミルを支えた。少女の顔はかわいそうなほどに蒼白で、立っているのもやっとといったところだ。

「そんなに怒らないで欲しいな、これでもずいぶんと丁重に扱ってるのだから」

 虹彩の細い赤い瞳で青年を見返すと、ユウは感情のこもらない言葉を投げかけた。冷静さを欠き、今にも飛びかかってきそうなヒロの姿をただ見つめている。喉元に突きつけた刃はあくまでも精神的優位に立つためのものである。人の命など彼女の手にかかれば、いともたやすく操れるものであった。

 鈍く光を反射する、手のひらにおさまるほどのごく小さな短剣は、何の飾りもない簡素な作りのものだった。これを振り回して戦おうというには無謀な大きさだが、首筋に押しつけて引くだけで十分に命を奪える。

「……いったい、なにが目的なんだ」

 ヒロは、苦々しく口詰まりながらユウに問いかける。勢いで抜いてしまった剣の切っ先を力無く落とすと、刃は行き場所をなくして左右に揺れる。

 青年の問いには答えず、ユウは別な話を始めた。

「伝説の勇者ユゼスを知っているかな? 魔竜として現世に君臨した世界神を、その剣で屠った英雄の中の英雄だ」

 ヒロは怪訝な顔で、ユウの言葉に耳を傾ける。ユゼスの伝説は長老や父親から聞かされていたので知っている。おそらく世界の子供達が一度は親や老人たちから聞かされる物語であろう。ヒロも、タエコもその例に漏れない。

「それがどうしたって……」
「英雄ユゼスは、物語のなかだけの存在じゃない。各地に残る伝説が物語るように、彼は決して架空の存在ではなかったんだ。その証拠がここにある」

 ユウは青年の言葉を遮るように言った。暦も記録も曖昧だった太古の英雄が存在したことに、よほど自信があるのか「証拠がここにある」と言ってのけていた。

「信じられないのも無理はないかな。おとぎ話が真実だったと言われても、ピンとこないもの……。でも本当なんだ、天馬騎士の彼女は知っているんだろう?」

 急に話がホノカに振られた。ユゼスの存在はあくまでも伝説上の、架空の存在として民間に語り継がれている。だが、ホノカは知っていた。王家の中でも特秘とされている、英雄王が実際にいたことを。少女の顔から血の気が失せた。

「かの英雄王はたくさんの偉業を後世に残した。人々にとって有益なものも、そうでないものも……。大きすぎる力は悪にもなる、それをおそれた時の治世者たちはそれを『伝説』とすり替えた。知らずのうちに漏れた話が、伝説として各地に伝わっているというわけさ」

 ユウがなぜこんな話をしているのか青年は理解に苦しんでいた。タエコと自分とそれが、なにか関係でもあるのだろうか? それに、ここにある証拠とはなんなのか。なにもないこの中腹の休憩地ともいえるこの場所に、どんなものがあるというのか。

「なにが言いたい?」

 苦々しく青年はつぶやいた。喉笛に突きつけられた刃は、相当の恐怖心を煽るのかタエコの顔は蒼白だ。

「霊峰の祭壇の伝説はこう『神ヲ断ツ剣アリ。海ヲモ斬リ、大地ヲモ裂キ、ソノ刃ニ斬レヌモノナシ。堕神封滅ノ凶剣、我霊峰ヘ封印シ』」

 魔将軍はすらすらと伝説の一端を語った。それはホノカの知るものと寸分違わない、真なる伝承の一筋でもある。ユウはそこでいったん言葉を切り、蒼白な顔をした天馬騎士の少女へ目配せを送った。

「……『御劔ノ名、神剣デアドゥルス』……」

 ホノカがユウの後を次いで、剣の名を口にした。その言葉に満足したように魔将軍は頷くと、再度口を開く。

「どういうことかわかったかな、つまりここには神殺しの剣が封印されているってわけ。実際にどれほどの力があるのかはわからないけれど、ここに封じられている事実は確固たるものなんだ。なにしろ、二十年前にそれを封じたのが君の父親なんだから――」

 青年は驚愕に目を見開いた。今この魔将軍はなんといったのか、それははっきり言って理解の範疇を越えている。自分の父親が、神から託された剣をここに封じた? なんの根拠があってそんなことを言っているのかわからないが、ユウの自信は揺るぎないものである。

「けど、ここには神の剣も祭壇なんてものもないじゃないか」

 ヒロは疑問をそのままユウにぶつけていた。影も形もないものが、どうしてそこにあるといえるのか。青年にはそれが不思議で仕方がなかった。

「封印されている、といっただろう? そしてその封印をとく鍵は、闇の巫女の血」

 魔将軍の言葉に、エミルがびくりと体を震わせて反応した。すぐ横で支えていたホノカが怪訝な瞳で少女を見つめる。エミルは血の気の失せた顔をさらに蒼白にし、かたかたと小さくふるえだしていた。

「そう、君の血だよ。エミル・ソーレ」

 ユウは感情のこもらない冷たい瞳で少女を見据えている。射すくめられたように動けなくなる少女を、魔法めいた視線が捉えてはなさない。

「なにを言ってるんだ? エミルがいったい何だって言うんだ!」

 状況を把握できず、青年は声を荒げる。だがそれを完全に視界からはずした魔将軍は、続けてエミルに問いかけた。

「選択肢はないよ、君には」
「んっっ!!!」

 タエコの首筋に押し当てられていた刃を、何のためらいもなくユウは軽く引いた。タエコは眉根にぎゅっと力を込めて痛みに耐える。つーっと鋼の刃を赤いものが伝い、切っ先に紅の珠を作り出した。雫はすぐに自重に耐えきれなくなり、大地へ落ちる。

「や、やめろっ!」

 青年の悲痛な叫びもユウにはなんの感銘も与えない。ただ己の任務を遂行するがごとく、その刃を握る手に力を込めていく。

「真なる伝承はわかったわ、けどそれとエミルがどう関係があるって言うの!? 闇の巫女っていったいなんなの!?」

 タエコの鮮血に狼狽したホノカが、青年のすぐ横に並んだ。エミルは二人の後ろでへたり込んでいる。少女はがたがたと震え、焦点の定まらない瞳で虚空を見つめる。

「エミル・ソーレ、その身に秘めたる忌まわしき力を怨嗟するのならば、一人を救えることをありがたく思うといい」

 やはり自分は邪悪なる存在なのだろうか。エミルは心の中で答えのない問いを繰り返す。自分と出会わなければだれも不幸にならなかった。女王も、ヒロも自分が出会わなければ苦しむことはなかったはずなのに。

 じわり、と涙が溢れた。不幸を運んできたのは自分だ。だけど、好きで『闇の巫女』に生まれたわけじゃない。理不尽な運命に弄ばれるために、ここにいるわけじゃない。

――真実はいつも残酷です。だけど、その真実から眼を背けないで――

 不意にそんな言葉が浮かんできた。女王はどんな気持ちでその言葉を口にしたのだろうか。少女には推し量ることができそうにもない。

 エミルはぎゅと拳を握りしめると、小さくつぶやいた。

「女王さま、ごめんなさい……。言いつけ、守れそうにないです……」

 はっと青年はエミルをかえりみた。少女は大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、青年を見つめている。そしてその手に握られているものは、一本の短刀――。

「エ、エミルッ! よせ、早まるんじゃない!!」

 駆け出し、その刃を払い落とそうとした青年の足が何故かもつれた。まるでなにかに巻き付かれたような感覚で前のめりに倒れる。ホノカがそれに反応する前に、少女は王女から託された短剣を胸の前に押し当てた。

「……ヒロ、タエコをかならず助けてあげてね」

 涙の雫光る凄絶な笑顔が青年の胸に焼き付けられる。次の瞬間、いともたやすく刃は少女の胸に吸い込まれた。

 苦悶の表情を必死に押し隠し、エミルは優しく微笑みを浮かべる。かくんと膝から力が抜け立っていられなくなった。

 じわじわと服に赤い染みが広がっていくなかゆっくりと瞳を閉じ、少女はそのまま力を失い、大地に引かれるままに倒れ込んだ。

 不思議と痛みは感じられなかった。ただ、出血とともに急激に体温が奪われていく感覚だけが、忍び寄る『死』を感じさせていた。

(……もうすこしだけ――)

 真っ白に染まりゆく意識の中、最後の想いが少女の心に浮かび上がる。

(――もうすこしだけ一緒に旅ができたら、よかったのになぁ……)

 とさり、という軽い音は静寂に押し包まれている祭壇の地だけに、必要以上にはっきりと聞き取ることができた。

「エミル――――――――――――――――――――ッ!!」

 青年の瞳にはその光景がやけにゆっくりと映し出されていた。広がる赤が異様なほど毒々しく、容赦なくヒロの精神を引き裂いてゆく。

 そのとき大気に異変が起き始めた。広場の中央に虹色の光彩を放つ光の柱が出現する。線のように細い光であったそれは、ゆっくりとその幅を広げていった。その中からなにかがぐにゃりと空間をゆがませて、虚ろな異界よりじりじりとせり出そうとしている。闇の巫女の血が、剣を目覚めさせようとしているのだ。

「現界と幻界の狭間に位置する異世界に固定されたもの、それがこの剣の封印。現世界からも魔法世界からも干渉を受けず、唯一呼び戻す力を持った巫女の血を持ってのみその封印は解かれる」

 呆然とする青年を後目に、赤い瞳の魔将軍は冷然とその様子を見つめていた。

 ユウが淡々とその状態を解説するさなか、ホノカは超常的な光景には目もくれず、エミルの元へ駆け寄る。彼女は少女を仰向けに抱きなおして、その短剣を引き抜いた。同時に大量の血液が噴き出し頬を濡らす。かまわずホノカは必死に傷口を押さえた。

 握りしめた短剣の精緻な細工の施された鍔が、なにか不吉な想いを抱かせた。直感的に魔力の掛かった品と判断する。

「さ、今度は君の番だよ。闇の巫女が命を賭して封印を解いた剣を、君が取ってくるんだ、ヒロ。人質はその剣と引き替えに返してあげる。ただし、神剣は資格なきものが触れれば、待っているのは死あるのみ……」

 ユウは依然としてタエコの喉元に沿わせた短剣をどけてはいない。だが、青年はあまりにも衝撃が大きすぎて、茫然自失の体である。倒れたまま立ち上がることもできずにエミルを見つめていた。

「ヒロッ! エミルの行為を無駄にしないで!! 早くタエコをっ!! タエコならっ!!」

 鮮血に染まりながらホノカが叫んだ。ヒロのすぐ背後では、『祭壇』が実体化しようとしている。

 そうだ、タエコさえ助けられればエミルの傷も治せるじゃないか。はっと我に返った青年は、勢いよく立ち上がると異空間の地が完全に現れるのを待てず、歪みにある剣へと手を伸ばした。魔将軍の口からは「資格なきものには死」という言葉が紡がれていたが、青年に躊躇いはなかった。

「ぐがっ!!」

 すさまじい衝撃が青年を襲う。腕から伝わった激痛が、背筋を通って脳髄にまで到達した。一瞬意識が遠のいたが、命を奪うほどではなかった刺激に確信を持ち、ヒロは必死にその異界のエネルギー流入に耐えた。耐えながらも、初めて出会うことになった空間が歪むという場面に、なるほどこういうことを言うのかと変に納得していた。

「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!!」

 剣の柄を強く握りしめた右手を、渾身の力を込めて引き抜く。顕在化する直前の不安定な状態であったためか、まばゆい光とけたたましい轟音とともに神剣は降臨した。

「御劔……、デアドゥルス……」

 魔将軍が感嘆とも賞賛ともつかない声を上げる。それは初めて彼女に現れた感情のこもった言葉であったのかもしれない。

 剣は至ってシンプルなつくりのものであった。青年の腕よりもわずかに長いほどの刃渡りをもった両刃剣で、鍔は刃と垂直に張り出している。剣全体をみると十字をイメージさせた。だがその驚くべき点は、刀身の輝きである。

 白銀とも白金ともつかない、それ自身が光っているような不思議な金属がその剣には使われていた。しかもその長さに反して軽く、青年は狐につままれたような気になる。

 ばちばちと激しく火花を飛ばしながら、その役目を終わらせた祭壇は再び異世界へと戻っていく。真昼に現れた揺らめく虹の柱は、幻想的であり非日常的であり、とてつもなく美しかった。

「これが……、父さんの使っていた剣……?」

 ヒロは手の中の剣をまじまじと見つめながら、小さくつぶやきをこぼした。

「フッ……その力まずは試させてもらうよ。――『石化解呪』」

 そのつぶやきが魔将軍に聞こえたかどうかはわからない。だがユウは当初の予定を逸脱し、青年に向かって闇の化身をけしかけた。解呪の言葉とともに、広場の四隅の石像が色を取り戻す。力と素早さを兼ね備えた強靱な肉体を持つ漆黒の姿、それは三度あいまみえた闇の者たちである。

「ヒロッ!!」

 ホノカの叫びが青年の耳に届くより前に、四体の魔物は中央に位置する青年に踊り掛かった。相当の距離があったが、跳躍ひとつでその爪の届く範囲まで肉薄する。

 だが青年は、かつてない力の充足を感じていた。先ほどの激痛が嘘のように体は軽く、敵の気配の隅々までが感じられ、敵の動きの全てが読める。驚くほどの視野の広がりを感じ一瞬戸惑ったが、次の刹那には既に剣を――神剣デアドゥルスを薙ぎ払っていた。

「っ!!」

 ゴッという鈍い音が響き、青年は一刀で二体の魔物を屠った。上半身と下半身が別れ別れになった哀れな下級魔族は、大量の血しぶきをあげながら斬撃の反動で遠くまで転がされると、そのままわけも分からずに絶命する。まるで一陣の風のようであった。

 残りの二体の攻撃を見切り、わずかに体重移動しただけでその爪をかわすと右手側から迫っていた魔物に対して剣を振り上げた。剣筋がホノカにも見切れぬほど速い。

 身体を斜めに切り裂かれ、魔物は緑色の鮮血をほとばしらせる。反撃の余地を与えず、ヒロは同じラインで剣を振り下ろす。と、身体全体が斜めにスライドし無様に上半身が転げ落ちた。おびただしい量の体液をまき散らし、さすがの魔物も動かなくなる。

 その間ももちろんもう一体の攻撃は続けられている。だがその全てを紙一重でかわしながら三体目を屠った剣の返す刃で、振り下ろされる敵の腕めがけて斬撃を繰り出した。

 醜悪な爪の生えた第二関節から先が切りとばされ、返り血が青年の頬を緑色に染める。生臭い腐臭が鼻を突いたが、その攻撃の手を緩めるようなことはしない。たたらを踏む闇の者に対して一気に間合いを詰め、燐光を放つ神剣を振り上げる。

 まるで砂を切ったかのような手応えのなさは、あまりにもその刃が鋭いためと繰り出す剣速がすさまじいためであった。剣の力かそれとも青年本来の力か、わずか一瞬の攻防で見事に仕留めている。

 とはいえ、青年にそこまでの自覚はない。神をも断つと伝えられる剣の驚くべき力に、ただ流されるままにならぬよう必死に自己を律して戦っていた。円を描くようなその足取りで最後の魔を討ったヒロは、仇敵である魔将軍を見据える。

「おどろいたな、ここまでの力があるとは……」

 そうは言いながらも、ユウの口調ははじめとさほど変わらない感情の起伏に乏しいものに取って代わっていた。表情もわずかに目を細めた程度で、驚いているようにはまったくみえないのだが。

 四つの屍が大地を汚していた。それももうすぐ完全に溶けて消える。青年はその頬の返り血を左手でぐっと拭うと、強い視線で魔将軍を睨み付けた。希薄な空気の中あれだけの剣戟を行ったというのに、息一つ乱れていない。

「やはり、早めに始末しなければいけないのか……」

 ぽそりとユウはつぶやく。おそらく羽交い締めにされていたタエコにしか聞こえなかったであろうその言葉は、どこか悲しさにあふれた切ない響きを持っていた。

「タエコを離せ……っ!」

 ヒロは神剣をぐっと握りしめ、魔将軍に鋭い視線を送る。タエコは相変わらず捉えられたままであり、刃もあてがわれたままだ。じわじわと出血しているのか、神官衣の首もとが紅に染まっている。早く助け出さなければ、本当に手遅れになってしまう。タエコも、そしてエミルも。

「残念だけど、君にはもう用はない。約束通り彼女は返すから、二人で安心して冥府へ行って」

 短剣を収め、ユウは人質を青年にむかって押し出した。突然の出来事だったせいと、足場の悪さのため大きくよろめく。と、ヒロが駆け寄ってタエコを抱きとめた。

――冥界の王ギュスターヴ 火と水と大地と風と闇を統べ 金鱗の聖祭を焦がせ

 タエコを手放すと同時に魔将軍は呪文の詠唱と魔法円を描き始める。しまったと青年が思ったときにはもう遅く、ユウの周りを取り囲むような魔法盾が出現していた。恐るべき手際の良さと判断力である。

 その深紅の瞳が、血よりも赤く燃え上がる炎のように輝いていた。虹彩は猫のように細くなり、孤高の獣のような鋭い視線であった。

――巫女たる暗き堕天使をここへ 贖えぬ罪と罰に抱かれし久遠の眠りを与えん

 タエコの猿ぐつわを取り去り、後ろ手に縛られたロープを切る。ようやく自由を取り戻した少女を背にかばい、ヒロは敵をキッと睨み付けた。だがそこまでで、どうすることもできない。

――深淵なる黄泉の水面絶望の血と骨で満たし 悠久の魔風を従えて天翔けよ

 連綿と紡がれる魔力の言葉に呼応し、精霊とは違う強い憎悪の思念体がユウの周りに集った。気温がぐっと下がったのではないかと感じるほどに、その負のエネルギーは凄まじかった。青年はなにか手だてはないのかとその剣を強く握りしめた。

「ヒロ、タエコ! 逃げてっ!!」

 ホノカの悲痛な叫び声が後方からあがった。しかし、同時にユウの魔法が完成する。すっとしゃがみ込むと、その大地へ両手を押し当てた。黒皮の手袋に描かれた魔法文字が激しく光を生み出していた。

「もう遅い、手遅れだよ。――『黒死懺瞑泉』!」

 魔将軍の瞳が赤々と輝き、同時にびくんと大地が震えた。闇色の光の円が、ヒロとタエコを中心に描かれる。その外側から螺旋を描くよう、闇に大地が崩落していった。上下の感覚が消え去り、内側に膨大な負のエネルギーがたたきつけられる。

 嵐、一言で形容するのならばまさにそれであった。魔円の中央にいる二人は、冥界の乱流のただ中に放り出されたようなものだ。

 局所的に異界へとリンクされたこの中で、自分たちは死を迎えなければならないのか? 否、そんなことは断じて認められない、こんなところであきらめるわけにはいかない。まだ何かできるはずだ、その思いだけが青年を突き動かした。

「うおぉぉぉぉっっっっ!!!」

 ヒロはタエコの手を強く握りしめ、その剣を大地へ突き立てた。すでに無意識の行動である。なす術もなくそのまま闇に取り込まれるくらいならばと、なんの確証もなく神剣の力にすがった。そして、神剣は彼の意に応える。

――ゴウッ!

「な、なにっ!?」

 タエコもホノカも、ユウもヒロ自身でさえも驚愕に目を見開いてその光景を凝視していた。全てを廃する魔風の吹き込む円のなかに現れた神聖なる霊剣の白光が、爆発的な速度で闇を塗りつぶしてゆく。

 闇が生みだされた時とは逆回転の螺旋を描いて浄化の光が乱舞する。中央から昇り立った光の柱は、まるで竜をかたどっているようにも見えた。顕在化する直前だった破壊の王が、暁光にその姿を薄れさせる。

 数呼吸の後、神剣より生み出された光竜は闇を飲み込んで消えた。何事もなかったかのようにヒロとタエコが先ほどと変わらぬ場所に立っている。

「た、助かったのか……?」

 なによりも自分が一番信じられなかった。同時に、剣のあまりにも強大な力に驚嘆する。すぐ隣に立つタエコが手をぎゅっと握りしめたままの状態で放心していることを考えても、その常識を逸した状況はまさに神の御劔の力と言えるだろう。

 いち早く状況を把握した魔将軍は、素早く両手を動かして印を組んだ。そして、矢継ぎ早に連続してスペルを唱え始める。

「――『縛鎖』」

 治癒師の少女にも唱えたことのある、その身を縛り付ける不可視の鎖。だがその魔力の戒めは青年の廻りに銀光とともに一瞬発現しただけで、縛り付けるまでいかずに光の粒子となって砕け散った。

「――『封印』」

 続いて魔の力を封じ込め無力化させる呪文が発動する。が、こちらも同じく青年を包み込むまで至らずに霧散した。

「――『停滞』」

 ぴくりとも表情を変えず、ユウは3つ目のスペルを完成させた。しかし、対象となっているヒロにもいったいなにが起こっているのか理解する暇さえなく、魔の力は消失する。

 ユウの魔法は発動していないわけではない。確かに魔法が現れて、そして消えている。そう、封滅の凶剣の由縁がそこにあることに、剣に認められし青年はまだ気がついていない。

「――『魔刃』」

 詠唱の調子を変え、最後にユウは素早く魔円を描いた。だがあきらかに攻撃の響きをもつその力ある言葉すらも、青年を引き裂くことなく無に帰す。もっとも、ユウ自身でもこの程度の魔法が効力を示すとは今更思えなかったので、さして感慨というものはなかった。

「……なるほど、さすがは堕神封滅の剣だけある。すこし作戦を立て直さなければならないかな……」

 自らの魔法を完全に封滅されてしまった魔将軍は小さくつぶやいた。後から連続で唱えた低レベルの魔法はともかく、完全に葬り去るつもりで唱えた『黒死懺瞑泉』は決して低レベルな魔法ではない。それをあそこまで無力化されてしまうのであれば少々分が悪かった。手持ちには『禁呪』と呼ばれるようなもっと強力なものもあったのだが、それは発動までに時間がかかるうえ無防備になりすぎる。今はまだ青年自身その剣の扱いにとまどいがあるため、この程度ですんだわけだが……。

「この勝負は預けておこう、ヒロ・ステラ。また会える日を楽しみにしているよ」

 ユウは口元にわずかな微笑をたたえ、簡易な移動用の呪文を詠唱した。

「ま、まてっ!!」

 青年が駆け出す前にその魔法はユウの身体をすっと空に溶かして消した。『転移』の魔法であろう。実に引き際はあざやかだった。

「タエコッ! 早く、エミルが、エミルが!!」

 ふと我に返ったホノカが悲鳴にも似た叫び声をあげた。彼女の腕に抱かれた血まみれの少女は、死の淵を彷徨っている。少女を助けることのできる力を持ったタエコは、自分の喉の傷を治そうともせずホノカのもとへ駆けた。

「くそっ、くそっ! 何故だ、いったい何だって言うんだ!!」

 青年はやり場のない怒りに身を焦がす。封印されし剣を手に入れるためとはいえ、少女一人の命と引き替えとなるとその代償はあまりにも大きすぎる。歴代のこの剣を握ったものたちがみな同じような想いをしたのかと思うと、なぜか理不尽なやるせなさが胸を満たした。父親もおなじ体験をしたのだろうか。

「父さん! これも試練だと言うのか!」

 天に向かって吠える。だがその言葉に答えを与えるものはいない。

 必死に治癒を施すタエコの姿は、青年の目から見てもとても痛ましかった。だが彼女には直面した現実から逃げ出すことのない強さがある。嘆いていても始まらないと、泣いていてもしょうがないと、自分のやるべきことがあることをきちんと理解している。

 霊峰の冷たい風が血煙をさらっていく。タエコの額に浮かんだ汗が、瞬時に熱を奪って身体を冷やした。状況が思わしくないのか、彼女の表情は険しい。グローブをはずした両手が淡い光に包まれている。タエコは傷口近くにその手をかざし、聖句を唱え続けるがいっこうに出血が止まらない。

 タエコは涙目でヒロをふり返った。

「どうしよう、治癒が、治癒が効かないのっ!!

 見る間に冷えてゆく少女の小さな身体を抱きしめながら、ホノカは驚愕に目を見開いた。語りかけられたヒロも言葉をなくして立ちすくむ。


 運命の嵐が吹き荒れていた――。


センチメンタルファンタジー
第二章 「霊峰の章」 了
 To be Next City -Tirrenside-




    
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