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――あかい、紅い、朱い、……赤くて少し暗い、血の色の星。

 ソレハ争イノマエブレ。

――南の空に、ぼんやりと、うっすらと、……夜明けになってもなぜか消えなくて。

 ソレハ災イノ予兆。

――見えているのは、視えているのは、みえているのは私だけ?

 ヒトハマダソノ『痛ミ』ニハ気ガツイテイナイ。イツカ対峙シナクテハナラナイ問題デアロウトシテモ、ソレガホンノ些細ナ時ハ目ヲ背ケテイル。

――ねぇ、教えてフォルテ、……あれは……なに?

 少女ヨ、ソレヲ知ッテ如何スル?

――……いまはまだ解らない。けれど、知らなくちゃいけない気がするの……。

 ……自ラヲ戦禍ニ投ジヨウト厭ワナイトイウノカ?

――心配してくれているのね・……。ありがとう、私は大丈夫だよ。

 ソレモ純粋サユエカ……。
 ソレデハワガ主ヨ、心シテ聞クガヨイ。モウ後戻リハデキヌ。

――あの星の名は……?

 ……南天ノ凶星。

「南天の……、凶星……」

 つぶやくだけでゾクリとした悪寒を感じさせるその存在は、ほんのわずかずつ、ほんの少しずつ、じわじわと効く蛇の毒のように世界を蝕む邪悪なる者の到来を告げていた。

 今はまだ、彼女しか気がついていない厄なりしもの為れども――



センチメンタルファンタジー
第四話「想望」



 ヒロの家は、村のはずれに程近いところにあった。遠く広場の方向からは、村人達の喧騒がかすかに聞こえてくる。軽快な音楽が風にのって運ばれ、祭りが最高潮に盛り上がりを見せていることを少女達に知らせていた。

 一階部は入り口と物置になっており、実際の部屋として機能するのは二階であるこの地方独特のつくりの建物。雪深い辺境の地であるがゆえ、井戸は家の内部に掘られているし、入り口は二階部分にも設けられている。木材と石材をうまく組み合わせて作られた、室温を管理しやすい家屋である。

 部屋の数はそんなに多く無く、食事をするための大部屋のほかに、ヒロの寝室と父親の部屋、空き部屋になっている部屋の四つほど。調度品などはほとんどなく、あくまでも実用本位の質素な家であった。だから、大きな暖炉の隣にかけられた壁掛けがひときわ目立つ。

 精巧な技術を用いて織られた織物。おそらく神話の一場面を織り込んだものだと思われるそれは、一目一目に魂がこもっているような錯覚さえ覚えさせられるものであり、ホノカは暫しの間目を奪われていた。

 彼女は鎧を脱いだ状態で、木製の長椅子にちょこんと腰掛けていた。じりじりと燃える蝋燭の明かりが、やんわりと部屋を照らす。都会部であれば魔力灯がその役目を担う照明であるが、この辺境の地では植物から搾り出した油を使っていた。燃えるときかすかに穀物を焼く香りがするのもそのせいだ。

 ホノカの生家では、すべての灯火に魔力灯を使用していたため、ゆらゆらと揺らめく炎はもの珍しくもあり、じっと眺めていてもあきがこなかった。絶えず形を変えつづけ、踊るように輝く焔。そこには、ただ光るためだけに光る魔力灯にはない暖かさがあった。

 部屋には今、彼女一人である。

 現在のこの家の主である青年は、先ほど助けた少年と少女を家に送りにいっているし、もう一人のタエコという少女は一階部の物置部屋にはいったままだ。なにか探しているような雰囲気であったが。

 先ほどの闘いがまるで夢のよう――

 ゆったりとした時間、遠くからかすかに聞こえてくる音楽は、聴いたことなどないはずなのにどこか懐かしい。いつしかホノカは、足で小さくリズムをとりながら、かすかなハミングをはじめていた。
 とても穏やかな笑みを浮かべながら。



「ホノカさま、薬箱見つかりましたよ」

 ほどなくして、背中側から声がかかった。見つめていた壁掛けから目を離し振り向くと、小さな木箱をかかえて少女――タエコがやってきていた。
 彼女が今身にまとっている鮮やかな服はこの地方の祭り用の民族衣装である。先ほどホノカはそう聞いていた。太陽を思い起こさせるオレンジ色の美しい衣装であるが、今は左袖の部分が破けていた。いや、破けたというよりは自ら裂いたといったほうがいいか。

「あ、はい……」

 口ずさんでいたメロディを聞かれてしまったかと、おもわず赤面してしまい、ホノカの返事はわずかに小さくなってしまった。
 タエコはにっこりと微笑みながら歩み寄ってくる。

「ホリゾンタリスを見ていたんですか?」

 聞いたのことのない単語がタエコの口から漏れた。えっ、とホノカの顔に不思議そうな表情が浮かぶ。
 答えに詰まっていると、少女は思い出したように付け足した。

「あ、この壁掛け『ホリゾンタリス』って言うんです。この村の特産品でもあるんですけど、ご覧になったのははじめてですか?」

 タエコは薬箱をテーブルの上に置くと、『ホリゾンタリス』の隣へと立った。

「はい、……繊細に精魂込めて織られていたのでみとれてしまいました」

 一言一言、真剣にこたえるホノカの様子はタエコの瞳に好意的に映った。ずっと高い身分にあるはずの少女は、その権威の片鱗さえもみせない。むしろ、異邦人である彼女はこちらに対して常に気を使っているようであった。

「美しいですね……とても」

 タエコはクスッと笑うとホノカに答える。

「もう十五年以上経っているのに、全然そう感じさせませんよね」

 彼女は織物にすっと手を伸ばし、そっとなでて感触を確かめながらホノカに向かって口を開いた。

「これは、ヒロのお母さんが織ったものなんです」

 先ほどまでの笑顔の中にどこか悲しげで、影を持った表情が混じる。が、手のひらに伝わるやわらかなさわりごこちはあくまでも暖かである。
 ホリゾンタリスを織るには、一般的な機織り機など必要としない。もともと小さくまとめられている形の住居の中に、大きな織機を据えるための場所などはないからだ。
 タリスはまっすぐな棒に巻きつけられた糸……糸玉を多数使い『編む』のである。レース編みにも似た、すべて手作業の仕事であった。さまざまな色に染め上げられた糸玉を幾重にも織り重ねることで、丈夫で美しくやわらかで暖かな織物となるのだ。

「私達がずっと小さかったころに亡くなられたので、実際にはあったことはないんですけど……。でも、この作品を通してヒロのお母さんがどんな人なのかわかるような気がして……」

 ぼんやりとその模様を確かめるようになぞりながら、つぶやく。村のどんな女性が織ったものにもない、独特の織り方が混ぜられたその作品は小さいころからタエコの目標でもあった。繊細で、優雅で、丹精こめて作られた一級品の織物。
 だが、織った本人はすでにいない。これを越えるためには、その人物に教えを請うわけにもいかず、自分一人の力でなんとかしなければいけない。

「……このホリゾンタリスが好きなんですね」

 にっこりと輝くような笑みを浮かべながら、ホノカはタエコにたずねた。
 少しだけ頬を赤く染め、少女はこっくりとうなづく。

「私も、こんな作品が織りたいなって、思ってるんです」

 元来、この織物は結婚した女性の仕事である。子供を育てながら一冬かけて織り上げるものなのだ。家庭独自の織り方は母から娘へと伝えられ、生涯の伴侶を得るまでに確実に身につけていなければならない花嫁修行のひとつでもあった。

 もちろん、タエコも母からタリスの織り方を教わっていた。姉も嫁ぎ、宿屋の看板娘もいまは彼女一人である。宿屋とはいえ旅人などめったにこないこの地ではあるが、昼時には村唯一の食事どころとしてにぎわう。看板娘として忙しい昼を過ごし、夕方から夜にかけて女の仕事であるタリス織りを母から学ぶ。

 ホリゾンタリスは本来ならば、ヒロの母が織ったもののように壁掛けにされるためにつくられているわけではない。模様の美しさも売りのひとつではあるが、もともと厳しい自然に抱かれているこの地の生活用品として必要なものなのだ。防寒性がよく、丈夫で長持ちするため寝るときの掛け物や、冬用の外套として使われている。

 辺境であるこの地の貴重な収入源であることにはかわりないのであるが、むしろ美術的価値を持つレベルのものはごく稀であった。そして、そういった作品ほど村の外には出されない。

「ところで、ホノカ様。けがの具合は……?」

 思い出したように、タエコは尋ねた。すっかり話し込んでしまったようだ。

「いえ、本当にたいした事ありません。大丈夫です」

 ここの家の主人である青年ヒロは、しきりに彼女の傷の具合を気にしていた。もともとそういった心配性な一面があるのではあるが、少々気にしすぎの感もあった。タエコとしてはあまり面白くはなかったが、ホノカのあまりの人の良さにいつしかそんな感情も忘れさせられていた。身分の違いさえ聞いていなければもっと気さくに話し掛けられるのだが、すでに引かれてしまった一線はそうそう簡単に取り消すことはできない。

「駄目ですよ、隠しても私にはわかります」

 先ほどまでの口調とはまたちがう、少々強い調子でタエコは言った。ホノカの返事を待たず、薬箱をあけてなかみを確認する。あまり大きくはない木箱であったが、一通りのものはそろっているようだ。薬草類も、なかなかに充実している。

「…………」

 ふと、故人を思い出した。暖かくてやさしく、凛々しくて厳しい、タエコにとっても大きな存在であったリファス。薬草類をつねにそろえておくことが、剣の稽古で生傷の絶えなかった青年への、小さな親のやさしさだったのだろう。
 揃えられた薬が、生前のリファスを思い起こさせ……痛い。

 リファスの死に対して、ヒロにはヒロの心の傷があった。その一方で、タエコにも大きな痕を残している。

 彼女が駆けつけたときには偉大なる戦士は死の淵に飲み込まれつつあった。いや、生きているのが不思議なくらい、意識も失わず平然としているのが不思議なくらいの致命傷を負っていた。倒れ伏した英雄は蒼白な表情で聖句を唱え始めるタエコを手で制すると、闇の存在の返り血と自らの鮮血で汚れた顔に微笑みを浮かべた。

 涙があふれる。

 そして、最期の瞬間までリファスは笑みを絶やさなかった。ゆっくりと瞳を閉じる……。

 助けられなかった――

 その思いは、空しさと寂しさと絶望感のブレンドされた鈍い痛みとなり今でも少女の心の隅に居座りつづけている。いくら、青年から「もう気にするな」といわれても追い出すことなどできはしない。ただ、当事者であるヒロに心配させたくはなく、表面上はあくまでも「気にして」いない。もしかしたらそれにさえも青年は気づいているのかもしれないが。

「どうかしたのですか?」

 ホノカは不思議そうな顔で尋ねた。少女は薬箱をあけたままの姿勢で凍りつくように動きを止めていたからだ。

「い、いえ……な、なんでもありません」

 無理にでも笑顔を浮かべようとしたのだが、傍目から見てもわかるほどのこわばった微笑みにしかならなかった。それは誰よりも自分が一番わかっている。
 ホノカは心配そうな表情をしていたが、あえてその理由を問おうとはしなかった。

「そうですか、それならいいのですが。――と、ところで……」

 少女を気遣い、わざと明るくホノカは言った。そして恥ずかしそうに続ける。

「けがの治療、していただけますか?」

 同じ女性のタエコからみても、わずかに恥じらいを含んだそのホノカの表情は魅力的であり人を惹きつける力があった。変な話であるが、純粋にタエコは『可愛い』と感じた。にわかに血圧が上がりポーっと見つめている自分に気がつく。

「は、はいっ」

 その内懐を悟られまいと返事をした。が、タエコの意思と反してその返事はやけに上ずった声にしかならなかった。



 しばらくし、ヒロが帰ってくるころにはホノカの治療もすっかりと終わっていた。少々の擦り傷やかすり傷はおっていたが、めだって大きなけがはなかった。戦闘のさなか大きく蹴り飛ばされたという話をホノカはしていたが、それも鎧の上からの一撃であり骨などに異常はなかった。ただ、鎧の接合部分や衝撃を受けた場所などに青あざができていたが。

 ホノカは、聖句を唱えながら治療するタエコの成すがままになっていた。少女の肌は抜けるように白く同性のタエコから見ても美しかった。わき腹の程近く、あまり豊かではないが形の良い双丘の真下にできた痣を治癒するとき、タエコはなぜかどきりとしたのだが……ホノカには悟られてはいないようであった。


 治療が終わるころ、ヒロは宴の席で振舞われていた料理をもって帰ってきた。三人で軽く食事をとると、青年はリファスの死について話しはじめた。
 先ほどの化け物と同じような魔物が現れてたくさんの村人がけがをした事、リファスがその相手となり化け物の息の根を止める寸前までいったこと、自分になにかを教えようと父は訓戒を述べた事、そして……ヒロの目の前で化け物と相打ちで倒れた事……。
 ホノカも青年の加勢があとほんのわずか遅れていれば今ここにいる事などできなかったと、いまさらながら痛感していた。まさに紙一重の差であったと安堵せずにはいられない。

「そうですか……リファス殿は、最期まで戦い抜かれて亡くなられたのですね……」

 ホノカの長いまつげは沈痛な面持ちに包まれて本来の美しさをなくしていた。伏し目がちの瞳は向かいに座ったヒロの顔を正視できず、暖かい紅茶の注がれたカップを持つ青年の手元に落とされていた。
 テーブルに向かい合って座る青年は、ホノカの言葉にゆっくりとした口調で答えた。

「ですが、父には油断がありました。窮鼠に噛み付かれてしまったのも仕方のないことです」

 激情を押さえるように、淡々とヒロは語った。一年という時間はこの地方では短い夏と長い冬という二つに区切られる。実際のところ、リファスが死んでから「まだ一年」という思いと「もう一年」という思いが対立しあい、青年は心の整理すらもついていなかった。

 普段はいい。一日一日を精一杯に暮らしている日常は、父の死という事実から遠く離れていられる。だが、今日のように必要に迫られるとなると戸惑いを隠せない。

 ほとんど面識のない母と違い、ヒロを育てあげてくれた父親。絶対の信用を置き、負けることなどあるはずのない強い父であっただけに、思い出すだけで怒りとやるせなさが口から迸ってしまいそうだった。だから、どうしても感情を押し殺した物言いになってしまう。

「父がどんな道を歩んできたか僕は知りません。ホノカ様の言うとおり、英雄であったとしても、自分にとってはただの父親であって……それ以上の存在ではありません。だから……自分自身の考えにまとまりがつかなくて、どうしていいかわからないんです。もう一年も前の事なのに……」

 しゃべっているうちに感情が高ぶってしまったのか、最後のほうは頭を抱え込むようにしてつぶやいていた。
 横に控えたタエコは心配そうな瞳で見つめた。大切な人をなくしてしまったヒロの心の傷が痛いほどによくわかる彼女だからこそ、そんな青年を見るのは辛かった。酷くいたたまれない気持ちになる。

「ヒロ……」

 そっと青年の名を呼んだ。ただそれだけのことなのにとてつもなく大きな事のように思えてしまう。タエコは下唇を噛み、眉をきゅっとよせてヒロを見つめた。

――ヒロは弱くない。私みたいに負けたりはしない。

 そう信じることしか今のタエコにできる事はなかった。

 タエコの視線に気がついたのか、青年はふっとやさしい表情になった。考えてみれば小さなころからずっと、こんな関係が続いている。タエコが青年を「心配性過ぎる」と思っているよりもずっと、彼女のほうが考え込みやすい性格でありさまざまなことを心配しすぎるきらいがあった。そのときヒロがわずかに浮かべた笑みには、そんなタエコの思いやりに対してありがたいという気持ちがこめられていたのかもしれない。

「……大丈夫、心配いらないよ」

 ともかくタエコの心遣いが通じたのか、ヒロは少々落ち着きを取り戻したようであった。

「この一年間、大変でしたね……」

 ホノカはいたわるような声音でそう答えた。
 白銀の鎧を脱ぎ去った彼女はごく普通の少女となる。ごく普通とはいえ、色白の素肌と線の細い輪郭、端正なつくりの顔は、はっと息を呑むほどの美しさであるのだが……、それも王族の血筋ゆえか。生まれついて持った気品のようなものが彼女にはあった。

 彼女は華美な装飾の施された衣装をまとってはいない。確かに上質の素材を使用した服装であるのだが、上階級にあるような無意味な飾り付けは一切なかった。それは彼女がただの「使い」ではなく、優秀な剣士でもあるためであろう。動きやすさを阻害するような宝飾は、ホノカにとって必要ないものだ。

「痛み入り、感謝します」

 青年は高貴なる存在である目の前の少女に対し、畏敬の念をこめて深く一礼した。



 村の長老である老神父は、礼拝堂の奥にある誓いの間の神像を前にしていた。すべての村人の誓約が終わり、後は来年まで開かれる事のない部屋だ。

 小さな明かりとりのための窓に鎧戸を落とし内側から閂をかける。月明かりさえない部屋は、長老の持ってきていた小さな燭台に照らされるだけとなっていた。

 大神の姿が、揺らめく灯火の中に大きく見える。

「リファスもこうして旅立っていきましたな……。血は争えんモノとは……よく言ったものです……」

 老爺は苦笑いにも似た笑みを浮かべながら、神像に語り掛けていた。礼拝堂を預かる神父といえどもこの部屋に入れるのは緑葉の祭典の日だけだ。掃除・誓いの儀・片付けと他の村人よりは多く入れるが、それは大きな差ではない。

「わしもそろそろ隠居ですかの、ヒロの若さが眩しく見えますわ」

 片付けも終わり後は部屋を閉めるだけなのだが、そのまま出てしまうのはなぜかはばかられた。年をとり過ぎたせいだろうか、もう少しこの部屋に居たいと感じていた。

 広場からは相変わらず軽快な音楽が響いている。笑い声と嬌声とが入り混じり年に一度の宴を楽しんでいる様子が、老爺には手に取るようにわかった。

「もはや止めることなどわしにはできませぬ、ヒロももう一人前の男ですじゃ……いい顔になりました」

 ぼんやりと浮かび上がる神聖なる姿。聖王樹の枝から切り出されたという、雄々しく荘厳な神像は実際にいつ頃作られたのか知られていない。すくなくとも長老が小さなころから存在しており、幼少のころその祖父に聞けば「ずっと、昔からある」という答えが常に返ってきていた。聖なる樹の力を宿しているからか、その姿は長き年月を経た今も少しも変化していない。老人は年に一度会い見える度、その御姿が同じであることに感動を覚えるのであった。

 この辺境の地に……、決して優しいだけではない自然に抱かれしこの地に生きる、ブルーフォレアの民を祝福し力づけている存在。それは紛れもない事実であった。

 村人達は皆、この地に誇りをもっている。厳しい冬、穏やかな春、そよぐ風はやわらかで水の澄み渡る夏、収穫に忙しい秋、そして再び耐え忍ぶ冬。悠久の時を刻み繰り返されてきた人の営みは、この地に根付き確固たる支えとなっていた。人の人であるがゆえの温かみが、肌で感じ取れるのだ。

 大地とともに生きること、自然に抱かれて生きること、それはブルーフォレアの民にとって何事ごとにも変えがたい誇りであり、……同時に縛鎖でもある。リファスは、その鎖を引き千切るように村を出た。そして大陸を駈ける風となり、数年後再びこの地に舞い戻ってきた。だが、考えてみれば変化はそこから始まっていたのかもしれない。決して閉鎖された土地ではないブルーフォレアではあるが、自ら望んで辺鄙な大地に移住する者はいなかった。だから、リファスの連れ帰ってきた女性の存在はまさに変化の風だった。

 シーリン……南の出身であること以外、長老はその素性をまったく知らない。当人自身、大戦の影響か記憶を閉ざしており過去の事にはまったく触れようとしていなかったためである。

 だが、記憶というものがどれだけの価値を持つのだろうか? この地で新しい人生をスタートする上でどれほど重要な事なのであろうか? たとえ素性が知れず、外の存在であったとしても彼女は村になじみ、生きた。わずか数年ほどであったが、忘れられぬ記憶となるに十分な存在であったのだ。彼女が村を出たのも、きっと「生活が苦しいから」といったような生半可なものではあるまい。

 あれから瞬く間に月日は流れ、その息子は二十年前の父と同じように旅立とうとしている。世界のため、まだ見ぬ母親に会うため。
「運命ですかのぉ」

 ぽつり、と酷く悲しげな瞳で老爺はつぶやいた。
 ゆらゆらと揺らめく焔に照しだされた大神は、数百年の時を経た今も変わらぬ表情でじっと老神父を見つめていた。

「ヒロ……、自らの信ずる道をとことん駆けなさい。心の弦が切れるほどに、のぉ……」

 ふっ、と老人は灯りを吹き消した。また一年、この部屋は暗闇につつまれるのだ――



「ホノカ様、ひとつお願いがあるのです」

 リファスの話も一段落したころ、ヒロはホノカに語り掛けた。亡父のことを話しているときとは違う毅然とした強い意思に満ちた表情であり、投げかけられるまっすぐな視線に彼女は刹那、吸い込まれるような感覚を味わった。

「……わ、私にできることであれば――」

 そのため、答えるまでに一瞬の空白が生じていた。青年の瞳は、自分と同年代とは思えないほどに深い。まるで、この辺境の清廉な水と空気を映しているかのようだ。

「――何でも言って下さい、できる限りのことはいたします。先ほど助けていただいたお礼も、しなければいけませんし」

 ヒロのまなざしにこたえ、ゆっくりとうなずきながらホノカは言った。正直な気持ち、青年の力になってあげたいと感じていたのだ。助けてもらった礼というのは、なかば口実のようなものであった。

 だがその少女の答えに対して、青年は迷っているのか躊躇していたようであった。勢いで口にしてしまったが、果たしてこの少女に迷惑がかかるのではないかと逡巡している。たとえ自分が英雄の息子であったとしても、これから言うことを聞き入れてもらえるのかどうか……いやこの少女ならきっと自分の事は省みず彼の願いをかなえようとするのだろう。

 だからこそ、彼は迷っていた。

「……」

 青年のとなりで、タエコもずっと押し黙っている。ヒロがなにを言うのか、何を願っているのか、タエコでさえもわからなかった。いつになく真剣でひたむきな視線からは、青年の強い意思が読み取れる。はっきり言って気が気ではなった。とてつもない不安を感じていた。

 じりじりと植物油を燃料とした灯りが、三人の顔を照らしていた。お世辞にも明るいとは言えない灯火だが、魔法灯にはない温かみがあり柔らかさがある。その炎だけは場違いとも言える穏やかさの波をつくりだしていた。

 重い沈黙が部屋を包む。ホノカは静かに青年が口を開くのを待った。

「……ノースグリーヴ王に父の最期を、直接話したいのです」

 青年は吐き出す息とともに、そう小さく言った。
 言葉の意味が読み取れず、ホノカとタエコは「?」といった表情を浮かべる。

 生前の父が、ノースグリーヴ王とどれくらい親密な間柄であったかは知る由もない。だが、そうするべきだとなにかが告げていた。誓いの間で女神に告げられた「ノースグリーヴ王国を目指しなさい」という言葉も、このような展開を予言していたのであろう。
 意を決したように、青年は続けた。

「ホノカ様、俺が行きます。自分が父の代わりになるとは思えませんが、それでもなにか手伝いはできると思うんです」

 長い沈黙を破ったその言葉に現れた青年の旅立ちの意思。それは二人の少女に二つの衝撃を与えた。

「ちょ、ちょっとヒロ! そ、それって……」

 突然のヒロの言葉にタエコは勢いよく立ちあがった。その瞳が大きく見開かれる。

「ああ、しばらく旅に出る」

 反して青年のこたえは短くそっけない。だが、すべての集約されたその返事に少女は反論の言葉をなくした。
 そんな話聞いていない、前言を撤回してほしい、そうでなければ二度と会えない遠い存在になってしまいそうだから、自分とは違う世界に行こうとしているから、そんなのは嫌だった。冗談だと言ってほしかった。次々と浮かびくる言葉が……なぜか口からは出ない。

 タエコはぐっと下唇をかみ締めると、必死に瞳の奥の涙と喉のわななきを押しとどめた。

 ……予感はあった。まったくなかったと言えば嘘になる。ただ、そんな事実は認めたくなかった。だから「そんなことあるはずない」と心の奥底に押し込んでいた。

「でも……」

 納得のできない思いを前に、必死に言葉を探す。だが、考えれば考えるほど自分の考えが幼稚でただの我侭でしかないことを味あわされた。駄々をこねる自分が、重荷になるということしか考えられなかった。そのことのほうがよほど不安だった。

「ごめん、でももう決めた事なんだ……ホノカ様の話を聞いたからじゃない、旅に出る事、それは『誓いの儀』の時から決めていた事なんだよ、タエコ」

 はっと、悲痛な顔でタエコは青年を見た。先ほどから少しも変わらない、まっすぐで純粋で真摯な瞳をしていた。少女の意識を貫いて、遠く世界の行方を見ているかのような、そんな視線だった。そして青年の口にした『誓いの儀』という言葉、それ自体に込められた意味の重さが解らないほど彼女は愚昧な女性ではない。

 最初に立ちあがった時の勢いは既に無く、糸の切れた人形のように力なくうなだれた。

「でも……よろしいのですか? もちろん私は……いえ、ノースグリーヴ王国は、一人でも多くの戦士が必要な時ですからあなたを歓迎いたしますが……」

 絶妙のタイミングで、ホノカは口を開いた。
 その心の内のうれしさを押し殺した、少々厳しい表情でホノカは青年に問う。腕の立つ青年である事は、すでに証明済みである。よもや彼女が助力を願ったとしても同伴してくれることなど無いだろうと思っていただけに、青年の申し出は突飛で驚きを隠せなかった。

 だが、ここで露骨に喜びを示してしまうのは同じ女性として控えなければならないと感じていた。それくらい、わきまえているつもりだった。

「俺は、ご覧のとおり天蓋孤独の身です。父も既に居ませんし、母は……」

 そこまで言ってヒロは口をつぐむ。この旅立ちのもうひとつの理由を思い出したから……、それが『母』を探すためだと知ったら、この二人はどう思うのだろうか?

「ご、ごめんなさい、……私、なにも考えずにこんなこと聞いちゃって……」

 青年が言葉を詰まらせた訳、ホノカはそれを取り違えて謝罪した。先ほど、タエコから青年の母がずいぶん前に死去していると聞かされていたからだ。
 ヒロはそのまま「もうひとつの理由」を話すことはなかった。今はまだ、告げるべきではないとなんとなく感じたのだ。少女たちはそれで納得しているようだから、それでいいと思った。同時に、卑怯だとも感じていたが。

「いえ、自分自身ろくに覚えてもいない母の事ですから、気になさらないでください」

 あまりにもこの少女が気にしすぎるので、ヒロはあたりさわりのない返答をしておいた。なによりも今は、自分の意志が伝わればよい。

「とにかく、俺はいきます。まだまだ未熟な身ですが、精一杯の努力は惜しみません」

 うなだれるタエコには後ろ髪を引かれる思いがしていたが、こればかりはしょうがない。危険な旅になる事は目に見えていたし、タエコの父母も許すはずは無い。

「……あなたの決意、よくわかりました」

 ホノカも青年のその思いを感じたのか、素直に喜びを表せないまま静かにうなずいた。
 それは二人の問題である。よそ者である彼女にもこの二人の関係ほどわかりやすいものは無かった。色恋沙汰に疎い彼女にだって、それくらいの判別はついた。

「国王の元にかならずお連れします。約束しましょう」

 長い睫の奥、赤みがかった栗色の瞳がわずかに揺れていた。直接、とまではいかなくても、二人を引き裂く要因となったことには変わりない。だから心が痛んだ。

「……ありがとう」

 後ろめたさの中、ヒロはホノカの言葉に対してひとつ返答した。どこか気の抜けたような、苦い返事だった。

「……嫌だよ」

 不意にタエコが口を開いた。

「私、……嫌、やっぱりおいて行かれたくない!」

 最初に立ちあがった時の勢いを取り戻し、激しくタエコは叫んだ。

「ずるいよ、ヒロ。何でも自分ひとりで決めちゃって、私にはなんの相談もなしで……それでいきなり私を置いていくなんて、酷いよ、酷すぎるよ!」

 ほろり、と涙がこぼれ落ちた。それをきっかけにして、堰を切ったように止めど無く涙が溢れはじめた。

「タエコ……、俺は……」

 振り向いた青年は狼狽した。多少の抵抗は予期していたが、まさかここまでとは……。

「……なにも、一生会えなくなるわけじゃない。すぐに帰ってくるから」

 初めて見る少女の様子に、うろたえながらもなんとかなだめようと口を開く。椅子から立ちあがり、少女に向かい合うように立つ。
 だがそれは、気持ちを落ち着けるどころか火に油を注ぐようなものだった。

「私、そんなに待てないよ。私はヒロが思っているほど強いわけじゃない……、私は普通の女の子なんだよ? いつでも一緒に居たいって思うことがそんなにいけないことなの?」

 少しだけ見上げるように、濡れた瞳を青年に向けた。息が交じり合うほどすぐ近くにいるのに少女の視界は、ぼやけて、かすんで、青年の姿をはっきりととらえられなかった。

「違う、そういうことじゃない。俺はタエコを危険な目にあわせたくないだけなんだ」

 油断するとしゃくりあげてしまいそうになる喉を必死に押さえ、自分の胸の内を吐露する。

「違うのはヒロ、あなたのほう。自分が傷つくよりも、知らないところでヒロが苦しんでいるって思うことのほうが私には辛いことなのよ? 私を危険にさらしたくないっていうのは体の良い言い訳、どうして、どうして逃げるの? どうして言ってくれないの? 簡単な事じゃない、ひとつ約束してくれればいいだけなんだから」

 タエコは、すぐそばにホノカがいる事さえ忘れて必死に青年に詰め寄った。

「――私をずっと守ってくれるって、そう約束してくれればいいだけなんだから」

 青年の表情が、はっと硬くなった。どくん、どくんと、鼓動が激しくなる。
 タエコは泣き濡れた頬をぬぐおうともせず言葉を続けた。

「……私はね、ヒロ……もうずっと五年間も同じ事を『誓って』いるよ」

 急にトーンダウンしていた。震える肩、溢れる涙、それは依然変わらない。だが少女に先ほどまでの激情はなかった。
 その理由は既にわかっている。ブルーフォレアの民にとって、もっとも重要でもっとも大切なこと……一度はタエコがヒロに対して反論の余地なく言葉を無くさせていた『誓い』が、今度は逆にヒロの言葉を失わせていた。

「…………」
「我侭だってわかってる、困らせてるってわかってる、でもね、この気持ちは……簡単には押さえられない……、自分の心に嘘はつけないよっ!」

 少女はヒロの胸に飛び込んだ。反射的にびくんと青年の体が反応する。タエコは、頬を胸に埋め両手を青年の体に回した。青年の体からは、いつもとおなじ森の匂いがした。
 自分でも、ここまで大胆なことができるのかと不思議に思った。だが、今はそれを気にしている場合ではない。

「タエコ……」

 心が揺らぐ。決意が崩れ落ちていく。
 確かに、少女と一緒の旅は辛い事も楽しく変わっていくだろう。どんな問題も、なにが起きても、二人ならば乗り越えられるような気がしてさえいた。このまま少女の体を抱きしめてしまえさえすれば、もう後戻りはできなくなる。……それは実に簡単で甘い誘惑だったが、すんでのところ青年は押しとどまっていた。

「……お願い、ヒロ……」

 今だかつてここまで密着状態にあったことはない。おそらく……、ホノカという外世界の同世代少女の影響があったためであろう。そんなこと考えてはいけないと思っていても、ホノカの美しさと人間性に嫉妬心を抱かずにいられるほど大人にはなれなかった。良くも悪くも同世代のいない僻地の社会環境が、いつのまにか二人の距離を確立させていたのだ。ずっと一緒に育ってきた兄弟のような関係だからこそ、簡単には踏み込めない領域があった。

 だが、ヒロはいまだにタエコを抱き寄せることができずにいた。少女の思いに応えられずにいた。握り締めた拳が所在なく揺れる。

 ダメなのだ。これは二人だけの問題ではない。タエコの父親や母親には、小さいころから世話になっているし、姉であるジュンが嫁いでしまった今一人娘も同然の少女だ。公然の仲、と見られている二人ではあるが、青年の我侭だけで連れて行くわけには行かなかった。

 誓いの間で女神に頼まれた事……、それを一人で背負うにはあまりにも大きすぎる。それはわかっている、わかっているのだが……。

 だからといって、この大切な幼馴染である少女まで巻き込んでしまってもいいものなのか? ヒロは何度も何度も自問自答していた。少女は絶対なる信頼を寄せていてくれている……だからこそ、自分の事を信頼してくれているからこそ、青年は迷っていた。決断を下せずにいた。

「あの……」

 おずおずと、様子を見守っていたはずのもう一人の少女が声をかけた。ヒロだけが、顔をわずかに動かしてホノカを見つめる。

「タエコさんの力は……私も良く知っています。先ほど治療してもらいましたから……」

 本来ならばホノカが口を出してはいけないことなのかもしれない。だが、彼女自身の心に芽生えた罪悪感のようなものが、なんとか二人を引き離さずにいられる方法を探そうとしていた。自分が現れたことで、ひとつの不幸せが生まれることが怖かった。

「どういうことでしょうか?」

 ホノカの発言に、ヒロが尋ね返す。青年は少女の答えを待った。

「ヒロ……さん、治癒師の数は大陸にそれほど多いわけではありません。それがタエコさんのような力を持った方ならば、私は協力を頼みたい……そう思います」

 ふと、タエコは青年の胸から顔をあげホノカをみた。そんなことを言われるなんて、思ってもいなかったからである。
 驚いたのはヒロも一緒だ。声も出せずホノカを大きく見開いた目で見つめる。

「私からもお願いします。タエコさんも一緒に来てもらえませんか?」

 ホノカも真剣だった。真摯な瞳だった。

「…………」

 こうなっては、もう青年は覚悟を決めるしかなかった。迷っていたのは……自分を信じられなかった勇気の無さだ。少女たちの気持ちに報いるためにも、ヒロは心の中の葛藤に決着をつけた。小さく一呼吸すると、ホノカに対してコクンとひとつうなづく。

「あっ……」

 それと同時に、青年はぎゅっとタエコを抱きしめていた。

「行こう、一緒に。俺が守るから……タエコの事、俺が守るから」

 ささやくように、優しくヒロはタエコに告げた。

「……うん」

 どきどきと、少女の鼓動が速まる。熱い抱擁、心と心が溶け合う瞬間。
 このまま、時間が止まればいいのに……。少女はそのつかの間の幸せをかみ締めていた。

 それは長い冬だった。近くて遠き存在、互いにかけがえの無い存在であるのに高い壁に阻まれていた永い月日。兄妹のような二人だから、家族のような仲だから、踏み出せなかったそれぞれの領域があった。

 予期せぬ助け舟ではあったが、それがヒロの決断を強めたことには変わりない。亡き父に叱咤されたような、いまだ見ぬ母に諭されたような、そんな感覚を味わいながらヒロはホノカに心から感謝していた。

「……よかった……」

 ぽつり、とホノカはつぶやいた。優しい微笑みの中にちくりとした胸の痛みを隠しながら。

「ホノカ様……、俺達二人、まだまだ未熟です。俺は、父さんみたいにはなれないかもしれない、英雄と呼ばれるような器じゃないことはわかっている……、でもここでなにもせずに、世界の暗転を指を咥えてみている事なんてできないから……」

 青年はすっとタエコを抱きしめていた腕から力を抜いた。
 自然とタエコもヒロの胸から離れ、その隣に寄り添うように並んだ。

「どんな小さな事でもいい、なにか手伝いができればいいんです。だから、俺達をよろしくお願いします」

 少女の呟きに気がつかなかった青年は、誠心誠意こめて言った。その言葉に偽りはない。

 タエコも神妙な顔つきで同意するようにうなずく。涙に濡れた頬は、まだ高潮して紅をさしていたがそこに痛々しさはなく、むしろ晴れやかでさえあった。

 ホノカは、ほっとしたような優しげな表情でその二人の意志にこたえた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 何気ない、なんてことのない一言が、非常に心強く、心地よかった。

 今、旅立ちという新たなる人生の転機が訪れていた。それがこれから二人の運命をどう導こうとも、この決断に後悔はしない。

 ひとがひとを大切に思う気持ちはなにものにもかえられない。

 たとえどんなに時が経とうとも決して揺らぐことのない信頼は、いつかは愛にかわるのだろうか……? それは、二人の気持ち次第といったところであろう……。



 暦の上では春を迎えたといえど、まだまだ朝晩の冷え込み激しい辺境の地。遥か遠く大陸の中央に聳え立つ霊峰ジルバニアより流れる清流の雪解け水は、浸した手がしびれるほどの冷たさであった。だがそれは精錬で曇りひとつない、本物の水である。大地を潤し、空気を浄化し、森に命を与え、人に活力を与える。

 早朝のやわらかな陽光をあびて、木々は生き生きと輝き出す。冬の間寂しげであった落葉樹の森も徐々に葉を広げつつあり、春の様相を写し出していた。

「準備は、いいみたいですね」

 ホノカは、すっかり旅支度のととのった二人を前にして言った。村外れ、昨日の夕方はじめにホノカがおりたった丘に、三人は居た。

「はい」

 青年が短くこたえる。その表情にどこか緊張が隠せない。

「あれ、ヒロ緊張してるの?」

 かえってタエコのほうが落ち着いていた。なんだかんだいって、世話好きな彼女である。彼女の場合、世話をする対象が一緒に居ること自体が落ち着きを保つ秘訣なのだ。少々からかうような口調で、ヒロに声をかける。

「そ、そんなことないって」

 ホノカの前で、なにか恥ずかしい場面を見られたように思い青年はムキになって答えた。

「ならいいんだけど〜」

 いざとなると、女性は強い。ヒロは心からそう感じていた。それと同時に、昨晩のタエコの様子を思い出して心の中で苦笑する。ふっと、気持ちがかるくなったような気がしていた。

 ぶるるるるるるる……

 ホノカのパートナーと、先ほど紹介された幻獣が鼻を鳴らした。まぶしいほど純白に輝く身体からは、美しい翼が広げられている。

 もちろん、ヒロもタエコもペガサスを見たのは初めてだった。天馬は長老の話してくれる物語の中にだけでてくる存在であり、あくまでも想像上のものだったのだが……それが目の前にいるのである。不思議な感覚だった。

「よろしくね、……え、え〜と……」
「フォルテ、です」

 タエコが幻獣に挨拶をしようとしたところに、にっこりと微笑んだホノカが名前を教える。

「よろしく、フォルテ」

 タエコも優しく笑みを浮かべながらペガサスに声をかける。天馬は漆黒の瞳を瞬きさせながらわずかに翼を動かして少女に答えた。

「気に入ったみたいですね」

 ホノカは相変わらずの笑顔である。

「珍しいんですよ、これで結構気難しいから」

 少女はクスっと笑い、それは心外だなといわんばかりに天馬が鼻を鳴らした。あまりに良いタイミングだったので、つられてヒロもタエコも笑った。



 昨晩、話し合いのあとヒロとタエコは二人でタエコの生家であるラモーレ家へ向かった。もちろん旅の許可を取るためだ。酔いつぶれた村人達で溢れる広場を抜け、ほど近くにある村唯一の宿屋にして食堂の少女の家につく。

 すると、二人の到来を予期していたかのように、タエコの両親が待っていた。

 どちらかというと文人であり、家庭肌の父親。
 同じくこの村で育ち、誰よりもブルーフォレアに誇りを持つ母親。

――二人が来た理由はわかっている。

 父親はそう言った。ヒロが口を開く前のことだ。
 もうあきらめたような、だができるならば引きとどめたいという思いをこめたまなざし。

――いつかはこうなると思っていたわ……。

 母親はそう言った。タエコが大きく目を見開く。
 村の「お母さん」と評判の女性は、自分の娘の成長を仔細に眺めた。

「ラモーレおじさん、俺……」

 ヒロが口を開きかける……と、父親はその言葉をさえぎるように言った。その顔が硬い表情に変わる。

――誓いの儀で、私のもとに銀髪の女神が現れた。

 はっと、ヒロは言葉を詰まらせた。女神が現れたのは、青年のところだけではなかったのだ。とても苦しそうに、父親はつづけた。

――その女神は一言だけ私に告げたんだ、そう……

 そこで一呼吸置く。人生経験の多いものだけにできる「間」だ。
 ごくり、と知らずのうちにヒロは唾を飲み込んでいた。

――『青年が娘をさらいにくる』ってな。

 それまでの厳しい表情を一気に崩し、どこかからかうような言葉だった。たったのそれだけだった。
 なにを言われるのかと身構えていただけに、呆然と言葉をなくして二人は立ち尽した。すっと歩み寄ってタエコを優しく抱きしめる。それは、旅立つ娘に対する父親の抱擁。
 タエコ自身なにが起きたのか把握できないままである。一瞬ののち、父は娘を母親のほうに押しやった。そして、ひとつ言う。

――母さん、タエコの仕度を手伝ってあげなさい。

 こっくりとうなずく母親につれられて、タエコは奥へと消えた。
 なにか言おうと、ヒロが口を開きかけるが……首を振って男はそれを制した。ぽんぽん、と青年の肩をたたく。

――思えば、リファスにも散々迷惑を押し付けられたものだ。親子二代にわたって付き合うとなるとは、私も損な性分だよ。

 どこか寂しげな言葉だった。

「……タエコの事、守ります」

 たったの一言に集約された青年の思いを汲み取ってか、父親はうんうんとうなづいた。

――ヒロ、必ず帰ってくるんだぞ、ここはおまえの村だ。

 力強い一言、同じように青年は大きくうなずいて応えた――



「ところで、ホノカ様……お聞きしたい事があるのですが」

 ヒロは旅の荷物をつめたザックを背負いなおしながら、ホノカに尋ねた。

「はい、どうかしましたか?」

 微笑みは絶やさないまま、少女は青年に振り向いた。春風になでられた、柔らかそうな髪の毛が美しく流れる。愛馬と同じ純白に輝く鎧を身にまとった少女は、さながら戦女神セルトロアのようであった。少女は陽光のもとでよりいっそうの光を放つ。

「あ、ホノカ様はこいつ……フォルテに乗ってここまで来たんですよね? 王国から」

 その少女のまぶしさにどぎまぎしながら、青年は疑問に思っていたことを口にした。

「はい、そうですけど、それがどうか?」

「いや、これから俺達も、その……ノースグリーヴに行くわけで、……でもこの村には、フォルテみたいなペガサスはいませんし、長い旅に耐えうる乗用の馬もいません」

 そう、ヒロが心配していたのは移動手段であった。

「歩いて行くというのならば、それでいいのですが……そう簡単に行きつける距離ではありませんし、時間ばかりかかってしまいます」

 ホノカに言われるまま、この丘までやってきたはいいのだがこの先の旅程というものがまったく見えない。そしてホノカはそのことについて何一つ説明をしていないのだ。

「まさかフォルテに三人なんてことはないですよね?」

 タエコが困ったような顔で聞いた。たしかに立派な体躯の天馬だが、さすがに三人も乗れそうには無い。第一それでは翼が動かせず、飛び立つ事もできないだろう。
 あまりに二人が真剣な顔なので、ホノカは可笑しくなりくすくすと笑い出した。

「大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても。ちゃんと準備はしてあります」

 対して、釈然としない二人。

「どういうことですか?」
「準備、っていったって……」

 腑に落ちないといった表情で、青年は再びホノカに尋ねる。

「……これを、使うんです」

 とホノカは腰から下げていた小さな袋より、手のひらに収まるくらいな大きさのクリスタルを取り出した。細い六角柱型の曇りの一点もない宝石は、回りを鈍く光る金属で装飾されていた。太陽の光を吸い込むかのような不思議なきらめきを持っており、ヒロもタエコもその輝きに見入った。

「これは……?」

「魔力石、と、呼ばれるものです。これ自体には何の力もないのですが、周囲のすべてのものから魔力を吸収し、蓄積する性質があるんです」

 名のある匠の手によって創られた宝飾は、魔力石そのものの美しさを決して失わせず引き立てるよう飾られていた。

「魔力を……、吸収する?」
「はい、そうですね……周囲の空気、大地、草や木々、動物達、水、風、そして私達人間……その元来保有しているエネルギーをわずかずつ集め、長い年月をかけて成長するんです。成長し、十分なエネルギーを持ったものに、さまざまな魔法が発動するよう細工をしたものがこれなんです」

 見るのも聞くのも初めての魔力石に、興味津々といった目で二人は見つめた。

「でも、これを使って……どうするんですか?」

 今度はタエコが尋ねた。と、ホノカはゆっくりとうなづいて、

「この魔力石には『帰還』の魔法がかけられています。コマンドワードを与えることによってその魔力は発動し、『もとの場所』に戻ることができます」

 そう答えた。

「ってことは……」
「はい、転移魔法で移動します。大丈夫、なにも心配いりませんよ」

 少女の言葉を後押しするように、天馬も首を縦に振った。

「な、なんか緊張するな……タエコ」
「え、あ、……うん」

 照れたような笑みを浮かべながらタエコに声をかける。少女も同じ気持ちなのだろう、すこし不安を含んだ微妙な表情で青年に応じた。

「転移魔法の位相空間のなかで私達が感覚を維持していられるのはほんの一呼吸ほどのことです。方向感覚、時間の概念、光や音、すべての感覚は彼方に押しやられ、気がついた時には到着しています。実際には距離に比例した時間がかかるのですが、魔法の対象となる私達にとっては一瞬の事にしか過ぎません」

 二人を不安がらせないように説明したつもりだったが、聞き手の表情をみるとそれもあまり効果はなかったようだ。苦笑しながら、

「魔力石自体とても貴重なものですので、そうそう使用できるものではありませんし……これもよい経験だとおもってください」

 と、最後に付け足した。

「は、はい」
「わ、わかりました」

 ヒロもタエコも、なかば呆然としながら、その指示に従うことになった。もっとも、それ以外に選ぶ道など無いに等しいのであるが。

「――wiederkehren」

 ホノカは短くその封じ込められた魔を解放するコマンドワードを唱えた。と、透明だったクリスタルの内部に碧色の魔法文字が浮かび上がる。

「気を楽にしてください、ノースグリーヴ王国まであっという間ですから」

 せめて二人の不安感を取り除こうと、にっこり微笑む。そんな彼女自身、この魔宝石を使うのはまだ二度目だったりするのだが。
 徐々に魔宝石が光を放つ。はじめはぼーっとした蒼い光であったのにもかかわらず、すでに正視できないほどの洸を溢れかえらせている。その光の中ヒロはすぐそばの少女の手をぎゅっと握り締めた。その感触に安堵を覚えながら、タエコはそっと瞳を閉じた。

「……二人で一緒に帰ってこような、そしてその時は……」

 青年は早口で言った。その言葉と、ホノカの『帰還』の声が重なる。 少女がその言葉の続きを確認する間もなく、意識は寸断された。

 ぐにゃりと周りの景色がゆがみ、上下感覚がなくなった。ふわりとした浮遊感と、押しつぶされるような重圧が同時に訪れ、爆発の中心に居るような強い光と音を感じながらも暗闇と静寂につつまれた夜を感じる。
 すべては無になり、すべては有になり、意識は跳んだ。

 しばらくの間ぱしっ、ぱしっ、と、残留魔力が放電にも似た火花を散らしていた。
 それが収まると、何事もなかったかのように春風が丘の草花を揺らし始めた――


センチメンタルファンタジー
第一章 「旅立ちの章」 了
 To be Next City -Northgreave-


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