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 空駆ける白銀の翼、天馬。雄々しく翔くその姿は、神々しくさえもあった。天は雲一つなく晴れ渡り、風を切るように駆けるペガサスの背中に燦々と陽光をなげかけていた。
 上空は年を通じて風が強く冷たい。だから降り注ぐ春の日差しも、風に負けてしまうのが現状であった。もっとも、暦の上では春の日と言えどまだまだ寒風の吹きすさむ時期であるが。
 春風、というにはいささか冷たすぎる風を受けながら、ペガサスは純白な翼を羽ばたかせた。下方には深い森林地帯が広がり、遥か前方には空と海との境目がきらきらと輝いている。太陽は中天に差し掛かり、一日でもっとも強い日差しを照り散らしていた。

 「もう少しだから、頑張って……」

 抜けるように蒼い空を駆ける一頭のペガサスの背には、一人の少女が乗っていた。向かいくる風に負けぬようしっかりと手綱を握りしめ、愛馬に優しく声をかける。

 「ひひんっ」

 彼女の声に答えるように天馬は小さくいなないた。

 天馬の背にまたがった少女は、太陽の光を鈍く反射する金属の軽鎧を身につけ、くすんだ鳶色のマントを風にたなびかせていた。同じく、風になびく長い髪の毛は赤みがかった茶色で、一本一本が細く美しい。
 きっちりとした防寒装備で肌の露出は少ないが、わずかな隙間からは抜けるように白い肌が覗く。頭の両脇でわずかずつ髪の毛が結われており、顔のつくりも端正で愛くるしい。男性ならば思わず振り向いてしまうほどの美少女であった。

 少女と天馬は北へ向かっていた。北大陸の最北端に位置する辺境の地をめざして駆けていた。

 英雄の住む地、大神シィルベンドと聖王樹ジルティアに守護されし辺境の地、ブルーフォレアに向かって……。



〜プロローグ・緑葉の祭典〜



 陽のあたる丘。うららかな春の日に、吹き抜ける風も温かく優しかった。
 冬の間じっと耐えてきていた植物達は一斉に芽をほころばせ始め、冬眠から目覚めた動物たちが森を歩き始める。ここブルーフォレアでも、遅ればせながら春の訪れを感じ始めていた。
 すみれ色の可憐な花をつけた野草が風に小さく搖れる。丘を撫でる微風、そこに寝そべって空を見上げていた青年の前髪も同じように搖れていた。両手を頭の後ろで合わせて枕のかわりにし、かるく足を組む。彼は今、景色の一部になっていたのかも知れない。

 澄んだ瞳で見上げる空は、彼に紺碧の海を思い起こさせた。わずかに浮かぶ爪の掻き跡のような細い雲は打ち寄せる波頭に見えなくもないし、さわさわと木々や下草を揺らす風の音もまるで波のようである。
 じっと見上げていると知らず知らずのうちに天地がわからなくなり、この蒼い空に吸い込まれていきそうになる。空と大地の境目が融けて自分が不確かになるが、春の風に吹かれているとそれらの不安感は何もなくなってしまうのが常であった。自然と一体になるような感覚がたまらなく心地よいのだ。

 だから青年はいい天気の日にはこうしていることが多かった。

 まぶた越しの陽光が暖かい。ここ2、3日で急に気温が上がっていたが、まだまだ朝晩は激しく冷え込む。本格的な春の到来は、この北の地ではまだ時間がかかりそうだった。

 「こぉ〜んなところにいたのね。もうっ、村中捜したんだよ」

 まぶた越しの陽光が不意にさえぎられる。と、同時にかけられる声。目をあけて確認するまでもないほどのよく聞きなれた幼馴染の声だ。

 「ん? なんだ、タエコか」

 わずかに目をあける青年。逆光でその少女の表情は読み取れないが、声から察するに少々怒っているらしい。寝そべる彼の足元の方に少女は立っていた。

 「なんだ、とはずいぶんなお出迎えですこと。それがせっかく呼びに来てあげた幼馴染にかける言葉?」

 あくまでも表面上は笑顔を崩さず、静かに少女は言った。

 「また空を見てたの?」

 栗色でさらさらの髪を肩の所でふたつに縛り、ちいさな青色のリボンでその髪を留めているタエコと呼ばれた少女は、腰に手を当てながら青年に話しかけていた。この地方独特の民族衣装のようなものを身に纏い、青年の前に立つ。いかにも世話好きといった雰囲気を醸し出す少女だった。

 「雲はいいよな。この蒼い空を独り占めだ」

 呟くように言う青年。遠い天の高みを見上げながら、青空に思いを馳せる。
 青年の身につけているものも、この地方独特の衣装だった。大陸の最北端に位置し、冬が長く夏が短い辺境の地で生み出された、防寒性の高い厚手の布地で作られている。

 「もう……最近そればっかりなんだから」

 ちょっとだけ寂しそうな顔をしながら、タエコも呟いた。青年の瞳は、そばにいる少女のずっとずっと向こうを見ているのだ。幼なじみというものは、こう言うとき自然に相手の気持ちがわかってしまう。

 「俺もいつか……この空に浮かぶ白い雲みたいになれるのかな」

 寝そべったまま青い空を見上げる青年。
 タエコも同じように空を見上げた。

 春の日の空は吸い込まれてしまいそうなほど蒼く澄み渡っている。どこまでも高く、どこまでも深い碧。陽光とあいまってきらめく海原を少女にも連想させた。
 と、不意にタエコは本来の役割を思い出した。そう、青年を呼びに来たのである。

 「と・こ・ろ・で、思い出した? 今日が何の日なのか?」

 いまだ状況の飲み込めない青年はハテナ顔で、上半身を起こした。と、同時に背中に張りついた草と土を払い落とす。そのままひとつ伸びをして、少女の「呼びに来た」ということについて考えてみた。

 彼の長めの前髪が、やわらかそうに風に遊ばれる。そして、沈黙。

 「え、あ……っと……ごめん。な、なにかあったっけ? 今日」

 考えても思い出せないと一瞬でみきりをつけた青年は、冷や汗を流しながら少女に聞いた。これ以上怒らせるとあとあと面倒くさいことになる。青年はできるだけ穏便に済ませようと相手の出方を伺いながら尋ねた。
 同時に盗むように少女の顔を見てみる。一見にこやかにしているが、長年の付き合いから青年にはこの少女が結構怒っていることがわかっていた。

 ま、まずかったかな……いまの聞き方……。

 わずかにほほを引きつらせながら、青年は思った。

 「あきれた、ほんとうに忘れてるの?」

 だが、それを聞いたタエコは、怒る気も失せたといった表情で言った。それまでの怒気が一気に吹き飛んでしまったといったようだった。

 「あはははは……うん。忘れた」

 悪びれもせず、青年はさらさらとなびく前髪を触りながら答えた。
 タエコは、そのしぐさを見て一つため息をつく。もちろんながら青年の「本当に忘れていたときの癖」は知っていた。前髪を触るその仕草がそれだ。

 「いいわ、もう。今日は聖王樹の月の一日でしょ? だから……」

 何歳も歳が離れた、手のかかる弟に話し掛けるように少女は青年に言った。

 「あ、そうか。今日だったっけ」

 ぽんと手を打ちながら、ようやく青年は今日が何の日なのかを思い出した。

 「今日だったっけってねぇ……ああもう、信じられないわ」

 心底あきれたといった表情で、再びタエコはため息をついた。普段から少々抜けている青年だったが、まさか一年で一番大切なこの日を忘れているとは……。

 「もうすぐ式典が始まるから早く集まれって長老様が呼んでるの」

 青年はこっくりとうなづくと、

 「よっ」

 反動をつけて飛び起きた。最近ひそかに練習していた技らしい。
 青年はタエコより目線分だけ高いくらいの身長で、身体付きはほっそりとしていた。この里ではこれでも高いほうだったが、それでも大陸での平均的な身長を考えれば低いほうに分類されてしまう。顔つきもまだまだあどけなさが残っていた。
 髪の毛は目の前の少女よりちょっと濃いめの茶色。これがこの地方の極普通の髪の色だ。青年はくせっ毛を撫でつけながら、少女の肩に手を置いた。

 「ありがとな、『誓いの儀』を昼寝ですっぽかしたりしたら一年間笑い者になるところだった」

 背中についた土を払うときと同じようにあいた左手でぽんぽんと尻についた土を払う。そして屈託なくにっこりと微笑みながら、青年は肩においていた右手でタエコの手を取った。

 「あっ……」

 生まれて十八年間の間、この笑顔はこの少女だけのものだった。それだけに安心でき、そして信頼できる笑顔。

 「いこう、早くしないと始まっちゃうんだろ?」

 握りなれたはずの青年の手が以外にも大きくあたたかかったことになぜか胸の鼓動を早めながら、

 「そうね、はやく行こうか、ヒロ」

 そう答えてタエコは小さくうなづいた。



 ぶるるるるんっ

 疲れた翼を癒すように泉の水を飲み、嬉しそうに鼻を鳴らす天馬。

 森の中偶然見つけた水場は、少女と幻獣が休憩を取るのにうってつけの場所であった。こんこんと湧き出る澄んだ水は、この森が命の森と呼ばれるにふさわしい美しさを保っていた。森を支える生命の源とでも言おうか。事実、先ほどから数多くの小動物や昆虫を見かけている。春の森は生命に溢れていた。

 太陽も頂点を過ぎ緩やかな午後が始まってそろそろ休憩にしようと思っていただけに、こういったオアシスは実にタイミングが良かった。迷わず空から下りてきて正解だったと少女は思った。
 白銀の羽根を休める天馬。その馬の主人である少女もまた、泉のほとりで食事を取りながら休息していた。少々遅めのランチタイムといったところか。まぁ、その食事も携帯用の保存食というわびしい物ではあったが。
 予定よりも少々早いペースでここまで来ていた。少女の意志、決意に応えるようにペガサスは大空を駆けた。朝早く出発したと言うことも理由のうちにあるが、やはり愛馬が頑張ってくれたおかげと感謝せずにはいられない。
 当初の予定では、明日の昼頃到着するように今日は早めに野宿をしようと考えていた。だが、この速度ならばまず問題なく今日中に目的地に着くことができるだろう。今は昼をわずかに過ぎたほどであるから、到着するころにはすっかりと辺りは暗くなってしまうのであろうが。
 結局は愛馬まかせになってしまうのだが、天馬は数日に渡って休息もなく空を駆け続けるといわれており、それゆえこれから急に失速すると言うことはないだろうと少女は思っていた。ペガサスは人間などよりもずっと逞しい肉体と強靭な精神をもった幻獣なのである。言語を操ることは出来ないが、知能も高く霊的に高度な生物。それが幻獣と呼ばれる由縁でもあるのだが。
 決して嘘をつかない黒く澄んだ瞳は、優しげに少女を見つめる。長いまつげの先についた水滴を振り落とすようにかるく頭を振って小さくいななく。誰よりも何よりもたよりになり、そして安心できる友達。少女にとってこの天馬はまぎれもない親友であった。

 「そろそろ行こうか、フォルテ」

 少女はさっと立ち上がると、そばに寄ってきた愛馬に声をかけた。

 清らかな水面には波紋だけが揺れていた。



 辺境の里ブルーフォレアにおいて、聖王樹の月は特別な意味合いを持っていた。

 聖王樹の月は、この大陸で使われている暦において四番目の月である。長い冬がようやく終わり春を迎える月なのだ。それはこの辺境の地においても例外ではなく日に日に気温を増し、最北の森に息づく命たちにも春の訪れを告げようとしていた。
 聖王樹とは、このブルーフォレアよりさらに北に二日ほど歩いたところにある巨木である。その幹は大人が十人手をつないでも回らず、高さはさながら天をさすようだと言われていた。どれくらい昔から生えているのかは誰も知らない。だが遥か遠い昔から、何千年という時を眺めてきている。いつしか巨木は神々の樹と呼ばれるようになった。神聖なる神々の樹『聖王樹、ジルティア』と。

 聖王樹の月は、すでに述べたように暦の上では第四の月である。一年を十二の月で区切る風習のあるこの大陸では真冬の一番厳しい時期が歳の始まりとなっているのだが、ごくまれに春を迎える聖王樹の月を年の初めとし、祭典を催す地区がある。それがここブルーフォレアなのだ。
 大陸の最北端に位置するこの里では、冬は深い雪に覆われて外に出ることもままならない季節だ。あたたかな南部地方の街などで新たなる年のフェスティバルが開かれている頃、ブルーフォレアは吹雪に包み込まれていることも少なくない。
 雪が高く積もっても出入りができるように一階部と二階部に玄関があったり、風雪に負けないような頑丈さをもち熱を逃がさないような構造の、この地方独特の住居が作られるようになったのもそういった気候のためだった。
 余談になるが、ブルーフォレアでは井戸も家の中に掘られている。冬場、井戸までの道が雪に埋もれてしまい水を汲むことができないからだ。地下水は常に一定の温度に保たれているから凍りつくことはないのだが、汲みに行くことができなければ同じことだ。それに夏冷たく冬暖かい井戸は屋内に作ることで、自然の温度調節機ともなっている。

 そんな厳しい冬を乗り越えた里の人々の、年に一度の祭りが聖王樹の月の一日に行われる『緑葉の祭典』なのである。この儀式が里のものにとって一年の始まりであり、春の訪れであるのだ。


 祭事は既に始まっていた。厳粛な空気に包まれながら儀式は執り行われている。
 白髪の老神父は、いつもとは違った式典用の礼服を身に纏い主神への祈りの言葉を紡いでいた。小さな教会の前の広場には、既に村中の人が集まっているようであった。広場の前に造られた祈りを捧げるための台、その両わきには大きなかがり火が赤々と炎を揺らし、正午より始まった神への報告の儀を静かに見守っていた。

 緑葉の祭典は、二つの儀式からなる。『報告の儀』と『誓いの儀』である。

 報告の儀は、昨年一年の出来事を大神シィルベンドに報告する儀式であり、農耕の報告や里民達の様子や日々の出来事などの報告、総じて良い年であったか、悪い年であったかを老神父が里の代表として神に報告する。その間、広場に集まった里の民達はそれを静かに聞く。
 誓いの儀は、報告の儀のあと執り行われ今年一年間の目標、誓いを立てそれを神の前で宣言する。こちらは教会の奥にある部屋で、聖王樹ジルティアの枝だから削り出したと伝えられている大神シィルベンドを模した神像を前にして一人ずつ誓いをたてる。この誓いを守ることが、この地方の人々にとって最も尊いことだとされている。

 大切な儀式をあぶなくすっぽかすところだった青年ヒロと彼を捜しに行った少女タエコがこっそりと会場の後ろの方の椅子に座ったのは、報告の儀が中盤にさしかかったころのことであった。どうやら二人が最後だったらしい。最初から全て聞くことは出来なかったが、それでもまだ儀式の半ばだったことから二人はほっと胸をなで下ろしていた。


 報告の儀は何事もなく執り行われていった。昨年は近年稀に見る豊作で、森も里も食料に溢れていた。きこりの長男が宿屋の娘と結婚し、今年の夏には早くも子が生まれるそうだ。二人は幸せそうに報告の儀に参加していた。冬の厳しさは例年並であったし雪も少なくすごしやすかったことも忘れられることなく報告され、この村唯一の輸出品とも言える伝統の織物も若手中心に順調に進んでおり秋には立派な物に仕上がるだろうとみなに伝えられた。

 老神父は言った。昨年は総じて良い年であったと。今年も良き年であるように、と。


 そして儀式は誓いの儀へと移っていた。里の者達は一人ずつ教会奥の一室「誓いの間」へと入っていく。一年前のこの日誓った事を一年間守れた者、そうでない者・・・表情はそれぞれ違う。だが、今日この日に再び誓いを立て決意する。この地方ではこの日が一年の始まりなのだ。
 この誓いの儀がおわると、教会前の広場では大きな火が焚かれ朝まで大宴会となる。普段質素で簡素な暮らしをしている里の者たちにとって公然と朝まで歌い、飲み明かせるのはこの日くらいなものなのだ。「儀式」ではなく「祭典」と呼ばれているのもそこに由縁があった。

 誓いの儀は年かさの者から行われていく。村一番の老体はここの神父であるから、報告の儀に引き続き先陣をきることになる。もっとも、総勢三百人に満たない小さな村であるから順番などあまり関係ないのであるが。
 誓いの儀式は、大人と認められる十五歳から参加することになる。自我が確立し確固とした意志を持つようにならなければ、誓いの間に入ることが認められない。
 もっとも、誓いの間に入れなかったとしても各々の家では小さい子供たちに対して、大人と同じように一年間の約束を立てさせる。そうして、幼い頃からこの風習を生活に取り入れていくのだ。

 たとえそれが「おねしょをしない」であっても「お母さんを手伝う」であっても、誓いは誓いである……。


 実はタエコの方が半年ほど生まれが早い。それゆえ、二人の関係はいつでも姉と弟だった。たった半年生まれが違うだけなのに、それは二人にとってけして越えることのできない高い壁であり、実にもどかしい関係であった。
 またヒロにとって今年四度目になる誓いの儀であるが、タエコは五度目である。二人は同じ年の生まれであるのだが、タエコの方が祭典の前に生まれ、そしてヒロはその半年後の祭典のあとに生まれた。そのため、タエコの方が一度多く儀式に参加している。

 二人はならんで教会の中に入った。誓いの儀に参加できる年齢のものの中では今年もヒロが最年少だったため、二人の順番が回ってきたのは随分時間が経ってからのことであった。二人の年齢に近いものは、不思議といなかった。上は近い者でも今誓いの間に入っているタエコの姉くらいなものだし、下は今年十三歳になる雑貨屋のやんちゃ坊主である。それ以下、一気にその人数は増えるのだが……これで、誓いの儀のしんがりをつとめるのも四年目である。

 ひんやりとした石造りの廊下にならんで座る。この通路をもう少し奥へと入った部屋が、大神シィルベンドの神像を奉った誓いの間だ。一応の規則ではこの廊下には次の順番を待つ者しか入ってはいけないとあるのだが、一番最後とその前である。特にとがめる者もいないので二人は一緒に待っていた。
 神聖な雰囲気の漂うなか、沈黙し寄り添うように座る二人。タエコには、こうして一緒にいるという時間がとても大切なものに思えていた。なによりも安心できる時間がここにあると感じていた。

 「……なぁタエコ」

 何の前触れもなく切り出したのはヒロだった。静かな廊下に響く青年の声。

 ヒロは傍らに座る少女を見た。ふだんと変わらない仕草、いつも通りの空気。そのはずなのに、なにも変わらないはずなのに……何故だろう、心が優しくなる。
 青年は戸惑った。兄弟のように育ってきた二人だから越えられない壁がある。それは重々承知のこと。
 だが緑葉の祭典は新しい年の始まりであり、特別な日だ。ヒロは隣に座るタエコを見つめ続けながら、ある考えを浮かべた。

 特別な日だから、タエコが綺麗に見えるのだろうか?
 それとも、神聖な雰囲気に包まれているから美しく輝いて見えるのだろうか? 

 その問に関する明確な答えは、彼自身では出すことが出来そうになかった。いくら考えても……、いや、考えているうちに頭がぼーっとしてしまい考えにならなくなってしまうのである。

 「儀式が終わったら、一緒にあの丘の夕日、見に行かないか。今日はいい晴れ具合だったから、きっと夕焼けが綺麗だとおもうんだ」

 思考が停止する寸前、ヒロはそれまで考えていたことを口にした。が、口に出してしまうとなにか気恥ずかしさのようなものが彼を襲い、おもわず少女から視線をはずして通路の天井を見上げてしまった。

 「呼びにきてくれたお礼に、タエコに夕日を見せてあげたいんだ……」

 言い訳をするように、途切れた言葉に付け足す。

 数瞬の沈黙。

 そして……きょとんとした表情でタエコはヒロを見た。

 「めずらしいね。ヒロが誘ってくれるなんて」

 そう、彼から誘うことなどいままで皆無だった。ヒロはそう言ったことにまったく無頓着であり気にしない質である。そういう意味で酷く鈍いのだ。

 「……そうか? そんなに変なことかな……」

 タエコの返事が、OKのニュアンスを含んでいることを感じ取り、ヒロは天井を移していたひとみを少女に向けた。と、思いがけず瞳と瞳が交錯する。

 ヒロをみつめ、タエコはクスッと笑みを浮かべ答えた。

 「ううん、べつに変じゃないよ。ただ、いままで誘ってくれたこともないのに、急に言われたからちょっとびっくりしただけ」

 少女にとっても、ヒロの申し出は寝耳に水の驚くべきことだった。だが、そこをあえてなんでもない振りを演じたのは、そうでもしないと自分の感情を押さえられないと判断したからだった。

 今部屋の中には、二人より四歳年上のタエコの姉が入っている。昨年結婚したばかりの新妻である。しっかり者で気立ても良く、村でも評判の宿屋の看板娘だった。嫁いだと言っても同じ村の中でのことであるから、そんな大げさなことではないのだが。
 タエコの家は村で唯一の宿屋を営んでいた。とはいえ、旅人などめったにこないし普段は農業を生業とする極普通の家庭だ。本業のはずの部屋も二ヶ月おきに訪れる薬売りの行商人や、何年かに一度興行にくる芸人一座を泊めるために使われているくらい……。
 ただ、一階はちょっとした食堂のようになっており昼時や夕方には里民の憩いの場として活用されることが多い。

 誓いの宣言の時間は個人個人によって違う。わずかな時間で終わる者もいれば、随分時間がかかってもなかなか出てこない者もいる。タエコの姉の場合後者の方であった。
 しんと静まり返る廊下には、順番を待つ二人だけ。先ほどのやりとりがどうも恥ずかしさを引きずっているようで、ヒロからは話し掛けられずにいた。
 そんなヒロの様子を、おかしそうに眺めながらタエコは口を開いた。

 「せっかくのお誘いですものね、断るわけにもいかないわ」

 何でもない振りをしているつもりでも、不可抗力のうちに頬が紅く染まる。タエコもまだまだ少女だった。

 「え、ほんと……?」

 うれしそうに少女を見るヒロ。が……、

 がちゃり……

 そのとき不意に、二人の会話を邪魔するように扉が開かれた。誓いの間に入っていたタエコの姉、ジュンが誓いの宣言を終えてでてきたのであった。そこで二人の会話はストップしてしまう。

 「あら、二人そろってなんて仲がいいわね」

 徐々に膨らみつつある下腹部を歩きづらそうに揺らしながら、ジュンは二人に近づいた。現在妊娠6ヶ月である元宿屋の看板娘は、所帯を持ってからも変わることのない笑顔で二人に微笑みかけた。

 「あ、お姉ちゃん」

 タエコは、その姿を確認しゆっくりと立ち上がった。次はタエコの番なのである。

 「ジュン姉ってば、もう誓いの宣言はおわったの??」

 タエコにつづきヒロもすっとたちあがって、ジュンに話し掛けた。小さい頃からずっと面倒を見てくれた、ヒロが本当の姉のように慕うジュンである。人妻になっても、ジュン姉はジュン姉だと常々ヒロは言っていた。

 「ええ、今年は早かったでしょ?」

 。毎年、ヒロとタエコは最後の最後でずいぶん待たされていたたのだが、今年は随分はやかった。そんな当の本人は、いたずらっぽくにっこりと笑っている。その笑顔からひしひしとつたわる幸福の波を感じ、ヒロの顔も知らず知らずのうちにほころんでいた。

 「ああ、いつもならじいさんになるんじゃないかってくらい待ってたのに、今年は夏がくる前に秋がきたってくらいに早かったね」

 いつものように冗談を言うヒロ。この女性には、タエコのようにどぎまぎしてしまうことがなかった。やはり年齢の差なのだろうか、それとも割り切っているだけなのか。

 「このぉ、言うようになったじゃない」

 邪気のない言葉の交し合い、ほんわかとしていてゆったりとしている、そんな時間がとても好きだった。

 「それじゃ、私……」

 タエコがジュンの横を抜けて、誓いの間に入る。

 「あ、タエコ! なるべく早く済ますのよ〜、しんがりの王子様が退屈で泣いちゃう前にねぇ」

 ヒロに言われた皮肉のお返しをするように、ジュンは言った。

 「大丈夫よ、おばあちゃんになる前にちゃんとでてきますから」

 さらにそれを返して、タエコは言った。そしてそのまま扉を閉める。

 「まっ、あの娘ったら!」

 ヒロは苦笑をうかべながら、姉妹のやり取りを見て楽しんでいた。本当によく似た姉妹だと青年は考えていた……。



 夕暮れが近づくに従って、徐々に傾いていく太陽。春とはいえども、夕暮れが迫る時間はまだまだ早い。もう少しすれば空は美しい紅色へと変わるだろう。
 静寂に包まれていた森に舞い降りる白銀の翼。少女と、その愛馬はようやく目的の場所へとたどりついた。

 この世界で、希有の存在であるペガサス。気高く誇り高い彼らが人になつくことは滅多にない。彼女のようなものはペガサス以上に稀であった。
 背から飛び降り、慣れた手付きで愛馬の鞍と手綱を外す。拘束具から解放された天馬は嬉しそうに目を瞬かせた。それに応えてにっこりと笑いかける少女。

 「それじゃ、私は行ってくるから。ここで待っててね」

 知能の高い幻獣は主人の言葉を理解し、小さくいなないた。




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